手 塩 皿

ぼくの仕事の半分は、平向付以下の小さなうつわだ。小向付を作り始めたころからその傾向が強くなっ
た。多くの型と絵柄を展開でき、また焼きの変化を得ることが出来るからだった。また、それを楽しん
で呉れるお客様の声も後押しをしてくれた。一昨年から、この手塩皿のシリーズが始まる。古い物の写
しの仕事がきっかけだった。新しい長石との出会いも変化を倍増させた。絵付けは、一皿一皿違うもの
を描くことで唯一の器になる。
                                                                  

絵付けが愉しくなったのは、良い筆を使うようになってから・・・。高崎の筆屋さんの物だ。それまでも
いろいろ試してはみていたが、想うような線が描けなっかった。なにしろその筆が手に入ったときには
うれしくて渦巻きばかりを描いていた。くるくるくるっと筆が勝手に描いてくれる。そのころはすでに
朝1時間の乱暴な写経で「日々の筆慣れ」は出来ていたので、次は絵柄のバリエーションを徹底的に頭
に叩き込むことに専念した・・・そんなことを4・5年はしただろうか。
今の筆も満足しているわけではない。もう少し腰の強い、それでいて穂先の柔らかいものが欲しい。
10/18追記

 

そば切り

 

 

ここ数年目立ってソバ畑が増えて白い花が目を楽しませてくれます。「ソバ打ち渡世人」を自称して
いる旧知の池田さんがそば打ちに出かける新潟県三条市の徳誓寺さんに2日間のそば打ち体験と「小
作品展」で(新潟の美味しい酒と海の幸に酔いしれながら)、行ってきました。二言目にはダジャレの
話に疲れながらも拘りの道具と蘊蓄の間に聞こえるそば切りの音が心地よく耳に響きます。またお彼
岸でもあり、地元の方々の篤い信心もこころに残りました。合掌

                                                                

 

                                                                      

手だけではナンなので、一応こんな絵も。そば打ちの台、そばを入れる箱、受講生の包丁箱、のし棒
入れの塩ビ管、手打ちのmy包丁入れなどを自作、台の腰巻、のぼりを特注・・・と歯の抜けた口元から
「どうだ‼」と云わんばかりに息を洩らして、押さえた笑いから自作・自演のそば道場は始まるのだ。
水はもちろんポリタンクに詰めた戸隠の名水を持っていくのである。

 

                

京 都

京都の事で思い出すのは、京大西部講堂の穴だらけの天井から大道具を吊るした記憶からで、「・・・今
回は男たちの踊りがいいですからねえ・・・」とごきげんな長い寝言をいった土方さん。柴山勝さんとの
骨董店巡り「買えないものは、よ~く見て覚えてそれから外に出てからスケッチ!」でもなんといっても
正観堂さんや鍵善さんの御主人の親身に世話をしてくださるお人柄が京都そのものに思えるこの頃で
す。まだまだいろいろ ・・・思い出沢山の京都です。

秋 明 菊

秋明菊が咲き始めました。スラッと高くて風に揺れる姿が可憐です。八頭身美人というところか。白い
花がひときわその名を象徴するように、周りを明るくする。随分以前のことだが我が家に秋明菊がなかっ
たころ個展会場の飾り付けに御近所から花を頂いたことがある。個展が終わりお礼に頂き物の菓子折り
を持っていったのだが「そんなタイソーなモナーいただけねぇ・・・」と受け取って貰えなかった。その時か
ら花言葉が「カタクナな明るさ」になった。

                                                                         一か月が経ち・・・姦しいほどのはなが咲いている。これほどあると、なんだか雑音めいてくるが今手元に
ある本「音 沈黙と・・・・」の著者ならばきっとこの花の有り様からでも聞いたこともないような音を生み出
すのだろう。