織部を40年も作っているけれど
それを支えてくれた人もいるわけで
その一人が
多々納さんだった
25年前の
黒田陶苑さんでの個展のとき
「これは私がフフフッ 窯跡で拾~て来たものだが( ̄∇ ̄;)ハッハッハ・・・」と
風呂敷包みから新聞紙で包んだ沓茶碗の
陶片を出したひと・・・
風体はもののけ姫に出てくる
ジコ坊?という
修験者のようで
一目で好きなタイプと感じた
聞けば 美濃の窯跡はほとんど廻られたそうで 当然夥しい数の陶片を
採集しているという
「よかったら家に来ますか・・・?」
所謂美濃物(志野・織部)の発掘マニアとばかりには片付けられなくて 訪ねた家のなかは綺麗に整理されているとはいえ新旧の焼物と積み重ねられた書籍に占領されていたのでした そして気持ち大きい室内犬・・・「まあ 今日は折角ですから まだ明るいですが一杯いきましょう・・・」と奥様が用意してくれた料理をいただきながら矢継ぎ早に これはと思う織部の陶片を出してきては「参考になりますかね~?」なんていいながら 盛りだくさんの話に興味深々のときを過ごしたものだった
一流企業に勤務する傍ら 夜な夜な窯跡を訪ねては陶片採集・・・読書はもっぱら宗教哲学が多いように見受けられた 無類の読書家でもあって いつも付箋だらけの本を鞄にいれていた ・・・都内の待ち合わせ場所で横断歩道を軽やかなステップで渡ってきたのも多々納さんだった 「いや~ 社交ダンスもやっていたのですよ~ ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ~」 いったいどれくらいお世話になったのだろう 「これはね~ いい茶碗なんですがね ちょっと大きいんですよ これのもうちょっと小ぶりなものを作ってもらえませんやろか・・・」と桃山初期(おそらく)の茶碗や向付をうつさせてもらったこともあった 陶片ばかりではなく桃山期の志野・織部の完器も実はいろいろお持ちだったのだ 個展の折には「どうですか 新宿にでも飲みに行きますか?」と」現れて 二人して思い出横丁のウナギのモツ焼きの店にもよく行ったものだった
そんな多々納さんが 昨年暮れに88歳で亡くなられていた・・・ 淋しいなぁ 「僕が死んだときには 来てくれますかね~」なんて言っていたのに・・・ 感謝 合掌