雨降花と思ったが・・・ 

庭の低木の常緑樹の脇で白い花が咲いているので家人に聞くと「アズマイチゲ」だという 可憐で品のあるし風に揺れている姿など何とも言えず愛らしい・・・・別名を雨降花と云うらしいが どうも様子が違うようなので調べてみるとキクザキイチゲのようだった 数メートル離れたところにアズマイチゲが群生してもいる
家の南側の林を借りたので少し雑木を倒したり 枯れ枝を拾って土地を綺麗に片付けた 春先は空気も乾燥しているし野焼きはどうやら止めておいた方が良いようだが一昨日は終日雨だったこともあり 朝早く起きて野焼き(焚火?)を始めた ・・・ 湿った枯れ葉や腐り始めている倒木の煙は青味がかってまるで斑唐津のよう 静かに棚引くさまは大好きな野趣だ 何といっても山暮らしの愉しみは焚火にかぎる  いまだに登り窯で焼き物を作る理由の大部分はこの木を焚きたいという欲求を満たすためなのである
どうもぼくの焼物を作る動機は、山で暮らしたいからとか、焚火をしたいからとかのサポート的要素としての部分がある。粘土のような可塑性の高いものに触れるときには、この一見遠回りのようだが作り手の暮らしぶりというものも映されてくるので、ことに伝統的なものに関るときには何かしら大切な心的なテクスチャーをおすそわけしてくれるのである。
            

 

 

アズマイチゲ

サンシュユ 

 

サンシュユの花

 

戸隠に住み始めて37年が経つ 野鳥や茶花の宝庫と言われている戸隠だが 余り熱心にその名や謂れを知ろうと思った事は無かった どちらかと言えば あえてそうしなかったといったほうが正しいかもしれない
鳥は鳥 花は花・・・獣は獣 で一括りでよかった
それでも 自然に覚える知識というものもあって 何かしら身に着く

昨年の秋に家の近くの藪に入って 散歩?をしていると 小さな俵型の赤い実を沢山付けた灌木に出会った 樹の大きさからすると随分以前からそこにあったものだろうけど 気付かなかった
(・・・多分 のんびり暮らしているつもりであったけれど 仕事や日々の暮らしに追われて 眼に入らなかった)
一枝折って 家人に聞くと事もなげに 「ああ サンシュユね・・・」といとも簡単に答えが返ってきた

一昨日気になって 見に行ってみると黄色い花がびっしりと可憐に咲いていたので カメラを向けた 家に戻り改めてこの樹について調べると
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・なんと この枝を温めた牛乳に一晩いれておくと ヨーグルトになると書いてあるではないか‼ こんな楽しいことはやらぬ手はない

つづく

雪間に 遊ぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰省した娘と 蕗の薹を採りに出た

わずかに残った雪のうえで跳ねたり

林の中を走ったりする(;一_一)

幾つになっても 子供っぽい仕草や語り口がある

たぶん 母親ゆずりなのだ と思う

ミミズク香合ネタ・・・で

桃山期に作られた織部の香炉に ミミズク香炉(高さ11㌢程)がある。
20年前になるけれども 家族で10日間の東北旅行をした折に岩手県の久慈のあたりだったろうか 全紙大のアジア民族博物館のポスターが目に入った。 ポスター一杯に大きく引き延ばされた竹で編まれたミミズクの工芸品だったけれど それは間違いなくその織部で作られたミミズク香炉と瓜二つのものだった。それが何に使われ、いつ頃作られたものかはついに分からずじまいになってしまったが・・・。
織部に限らず桃山の茶陶には 水指・花入れ・鉢などに 東南アジアの竹工芸の器の形を模したものがかなりある。 正確に写すというよりも その形の印象を借りて ”もどき・やつし”をしているといってもいいかと思う。
素材を置き換えるという”竹→土”ことは、どんな意味合いを含んでいたのだろう。 本来あった形の意味が省略され 痕跡を留めるだけとなっていたり 部分の強調によって 歌舞いてみせているものもある。つまり桃山の創造とは 相対立する現象を互いに互換するように補完するように用いているのではないだろうか。・・・もどき・やつし・かぶきという方法を用いて。
引用の迷宮に遊び、謎解きを愉しんでいる高等遊民のカンブリアン的創作の時代だったとも見える。

ミミズク香合ネタといっても 何かある訳ではない。香炉でも香合でも
当時はいろいろ作られている。ことに小品の水滴などにもミミズクに限らず動物を模したものが随分みられる。
ぼくも、気が付くと何かと、動物ものを作ってきた。”・・・かわいい~”ということもあったのかと思うが、最近はアニミズム的なところでの”カミ”を何かしらみんな感じているのではないかと思い始めている。
蛙・ウサギ・猿・雀・水鳥・蛇・クマ・虎・獅子・・・どこかに象徴的な意味を内在させて 無意識の物語の中に遊んでいる。神話の世界に立ち返っているような空間を知らず知らずのうちに追体験しているのかもしれない。

・・・・このあたりのことも、「人と物の関係」を考える上で大切な要素と考えている。

 

ミミズク香合