※かつての備前の大窯などは共同窯であったために、それぞれ自分たちが作ったものを識別する
必要から窯印を用いた.また、租税として納める物には、その出自を明らかにするための印として
重要な役割があった。古備前の研究家桂又三郎氏の著作に載っている窯印は屋号・名前・記号など
慎ましやかなものから大胆極まるものまで様々な姿で記されている。
※桃山期になると信長が定めた瀬戸六作(六人)のような茶陶つくりの作家が現われて、それぞれ
が自らの印を使い始めたのであろうが無記名の物もあり,どのような判断からそうしたのか解らない。
(のちに、織部十作もあり」
※それとは別の使い方で依頼主のマークとしてつかわれたという説もある。桃山期の茶碗一個に二つ
の印が記されたものがあり、作り手と依頼者の併記なのだろうか。そうであってもおかしくはない
・・・というかそこまでしてしまうことで、器全体のなかに意匠として取り込まれている面白さこそ
狙いではないかとおもう(あくまで憶測ですが)。
※時代は遡りますがもうひとつ魔除けの呪符としての役割。骨壷や種壺などに見受けられる。産着の
背に六芒星を縫い付けるのと同じである。
※僕の窯印は、落合真澄の(日本古代文字考)の中から、「と」と読めるそして使い易いものを選んだ。
ただ、長年使っているうちに崩れてしまっている。この本のなかでは須惠器や壺、桃山の窯印も
一連の古代文字からのものとしている。
※下の写真は、茶碗に付けた僕の窯印。茶碗の正面を裏返して高台脇の左にいれ、扇子の地紙の形で
ぬいた。
※「日本古代文字考」から(守恒字・モリツネジ)のなかの(と)の文字を使った。使いなじんで今の形になった。
※「家紋の話」泡坂妻夫著の(商家の門)の章にこんなことが書いてあった。「10/16」記
・・・もとはといえば、粗悪品防止、生産者の責任を明らかにするために、支配者から署名や印を強要さ
れていたのですが、・・・とか ・・・農産物にも生産者や納税主の名が印され、・・・とか刀剣のほか、陶磁器や漆器、琴三味線などの楽器をつくっている工匠たちが、その作品にじぶんの銘をいれるのが習わしになっていました。・・・つまり銘を入れるとういことは、至極当然なこととして、場合によっては義務だった
らしいことが窺える。
とりあえず おわり