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4月11日~15日しぶや黒田陶苑さんにて個展です

一年が経つのは早いですね 紋切り型ではありますが・・・振り返ればあれもこれもそれもこの一年にやったことだとすれば、まんざらでも無い一年だった様な気がする
72歳になっている・・・50代には30代と勘違いしていたし60代は50代だと思っていたが70歳は間違いなく70歳を自覚せねばならなかった・・・とでもいえようか 記憶力体力集中力が分散力になって一日も余白の部分が目立つ それでも仕事をしていると何かしらが残って行く・・・出来なかったことはやらなくて良かったことだし 

織部黒茶碗

この茶碗は三段輪積みにしてから手びねりで作った
胴部の螺旋状の凹みで程よく指が収まる 内側はかなり削り込んでいる  径11.5㌢ 高さ8㌢ 重さ400㌘
総掛けで高台周りを指で拭い取っている 窯印のところは地紙紋で抜いている

獅子香炉

少し大きめの香炉 11.0×11.5×高13.5 何というか恐い所と可愛い所を併せ持っているようなのがいいなと思っている

窯変花入

いつもの甁子型花入 14.8×14.8×高22.5
今回の窯は還元気味のところが多かったので 窯変している
綺麗な発色の緑を所望する人が多いのだが 登窯では必ず還元の掛かった赤く発色した緑釉が出る 或いは緑が抜けて透明釉と化した緑釉もある そのぐらいなバリエーションがある方が僕はただ好きなのである

青織部徳利と赤織部酒呑

この徳利の絵付けは沢瀉(おもだか) 裏面には薄(すすき)が描かれています 徳利の絵付けで最も多く使われる 沢瀉は源平時代頃から家紋などに用いられて一説に勝軍草とも云われて武士に好まれていたらしい 薄は秋草の代表として 裏表に春と秋のシンボルとして描いたのかも・・・
さけのみは、土で形を作り型取り 石膏取りして外型を作り土を張りつけて内側を削った 赤土に少し白土を練り込んでいる 白泥で模様を描いてもいる

鯱鈕水指

 

 

この水指も土型を作り外型を取った この型の上に同じ形のものを乗せて花器を作ろうと思っていたけれど単体で水指にした
赤土と白土でそれぞれ2点ずつ作った 器体は織部釉の窯変
 蓋の鈕(つまみ)は鯱「しゃちほこ」

 

狛犬燭台

狛犬の燭台 もう四年?五年?狛犬の阿吽燭台を作っている 戸隠に住み始めた40年前から神社に行けば狛犬に挨拶をしていたので 作るようになったのも必然といへる 調べてみると鎌倉時代あたりから美濃地方で庶民が神社への奉納の狛犬として高さ20センチ前後の灰釉や鉄釉のものが多く作られたらしい 当然ラフ(雑)な物から精緻なものまで大きさも様々なものがあり その画一化されない無秩序振りが織部焼きと似ているな~とも思った またユーモラス(滑稽)さが露わな物が多くて そのカミに対しての節操の無さに心が打たれましたね 日本的なものの 或いは根源的なモノの顕れを(笑い)に依って現わしているのではないかと考えている 織部焼きの裡にある剽げ(ひょうげ)とはつまりそこにあるのだろう 戯けるとはカミを招く術なのだと・・・岩戸開きの時代からの定石なんだな

※弥七田織部 と言われる一群の織部焼がある 写真のように緑釉を柄杓などで垂らし掛けている 荒川豊蔵さんの住まれていた沢の向かいに弥七田窯と呼ばれる江戸初期に稼働していた窯がありそこで焼かれた物に緻密な土で焼き締まり(半磁器のような)も良く 絵付けも繊細で器体も薄手で瀟洒なものが作られていました 京都から仁清も来ていたのではないかと云われるほど 京焼と美濃焼の橋渡しを担ったような窯でした

この形は古いモノにあり 絵変わりで作ってみました

弥七田織部額形向付

・・・続く

京都あれこれ・・・まだお礼状を出せないでいる_(._.)_

逆立ちする阿吽の獅子が瓦屋根に据えられているのが時々見受けられる。
粟田口のあたり・・

平安神宮に向かって歩いてゆくと 京都写真美術館がある。
好みの写真展をやっていたので覗く。SNS投稿用に写真撮りは自由(写真そのものだけはご遠慮を)

若王子から哲学の道に入る坂道の途中に間口一軒ほどの細い路地を伝って行く「とま屋」さんの入り口に暖簾がかかっている。ずっと気になっていて入れず終いになっていたが、今回は手を引かれるようにするりと入った。奥様が和菓子を作られ、夫が版画家。もう亡くなられて何年になるのか、生前焼物を何点も求めていただいた。若い頃はサックスプレイヤーで、それから江戸木版画を独学で習得して江戸浮世絵版画を再興したとまで云われた人だ。
お菓子を頂戴してから、自己紹介をすると「ちょっと待って下さい」と奥にゆくと間もなく黒い茶碗を両手に包んで現れた。「これ毎日使っているんですけど、これを作られた方ですか・・・。」紛れもない僕が作った黒織部の茶碗に再会した。

 

焼き板の板塀 左右中央の三カ所に釘止め・・・これは後日釘が浮いてきたので改めて打ち直してあった             

仕出屋さんの自転車 いつもきちんと置かれている 料理の盛り付けみたい にもみえる

 

 

 

 

敷居の高い骨董屋さん 鳴海織部の茶碗が・・・あの緑の発色は嘗て風呂灰を使った釉薬で出た記憶がある 随分昔のことなので再現は出来ないだろうな・・・あの頃に戻って釉薬の研究からやり直してみてもいいのかもな❗

 

 

 

 

 

李朝の壺 朝鮮の焼物や民芸に美を見いだして評価したのは柳宗悦だという 続いて赤星五郎・浅川伯教ら。あくまで定説だからそうでないところもあるに違いない。あの時代の植民地化が齎した功罪について語る程の知識は持ち合わせていないが「美」について他民族の者があたかも発見したかのように云うことは烏滸がましいと思う。利休にしても、ルソンの壺というものがあって・・・  野暮な話になりそうなのでやめる。

11/14~11/26京都ギャラリー正観堂さんにて個展 終了いたしました

正観堂さんで個展をさせて頂いてから22年が経ちます。京都況してや骨董街のギャラリーで自作を拡げるのは正直勇気が要りました。ただ織部焼きを生み出したのは京都の数寄者と職能衆だろうと考えていたので「とりあえず京都で・・・」思ったわけです。一昨年NHKの美の壺という番組で拙い器の話をしました。不器用な作り手の独断で勝手なものです。一見勝手な振る舞いと思える織部の自由さも明快な意図があって、振り付けと刹那の即興性で織りなされていると考えています。

弥七田織部十二面体水指 土は赤織部の鉄分のあるものだから高温で焼かれて生地の鉄が煮えて出て焦げた色合いになっている。

2024.11/14(木)~11/26(火)
11:00(am)~6:00(pm)(水曜日休廊) 

京都市東山区新門前通西之町211-3
075-533-4110

※22年というと48歳のときで、一番元気も良く体力も気力もあったのだと、今にして思う。骨董街という場所柄目の肥えた人が通りすがりにふらりと寄ることも多く。古い物かと思いました・・・とか、よく勉強されていますね~とかいう言葉を掛けて頂くことが何よりも嬉しかったことを思い出します。

今回はここ数年古い物の「写し」に再挑戦していたので、その向付の類いや茶碗、また狛犬の燭台など150点ほどを展示いたします。
お気軽にお立ち寄りください。

瀬戸黒茶碗 数年前に出来た物だが・・・お気に入りなので、再登板。 誰か・・・。
狛犬燭台 鎌倉時代ころから 主に尾張から岐阜地方で多くの焼き物の狛犬が奉納された 端正な物から滑稽な物まであり・・・まだ研究段階だけれど  まだまだ行けそう
故白洲正子さんが所持していたものの「写し」。写しをやると、理解が深まる。十年ぶりくらいに徳利を作った。
土型は250種ある。型にしていない意匠もまだある。新しい形にもいまだに出会う。ここ数年型の見直しをしていた。古い物をもう一度見直して形の微調整をした。これもその一点。