北大路魯山人の器

「魯卿あん」茶室

 

 

 

 

 

 

 

 

 


云わずと知れたしぶや黒田陶苑さんの京橋店「魯卿あん」さんをお訪ねした。3/22のことですが・・・。店主の黒田草臣さんと渋谷のお店でお会いしたのは25年前になる。 僕が38歳頃だ。渋谷のマンションでの友人とのグループ展があったので、その頃茶碗の作り方がいまひとつ?分かっていなかった為そのあたりの事をお聞き出来ればと、黒田陶苑さんを訪ねしたのでした。その頃は10年以上伸ばし続けていた腰のあたりまであった髪と髭面でしたから門前払いは覚悟のうえでしたが、古瀬戸や織部の本歌も見せていただき、最後に「来年、うちで個展をいたしませんか。」と声を掛けてくださいました。(・・・・・・「織部専一でやってみませんか。」といってくださったのもその頃のことでした。)
半年後、通称「黒田軍団」打ち揃っての開店10周年記念を京都で行い出席をいたしましたが、確かに一筋縄ではいかない山奥のマムシ・ウワバミのような作り手がウヨウヨという感じで2次会3次会になると喧嘩は始まる 泥酔して意識不明、同行した女子に手を出す・・・と中々逞しい作家ばかりでありました。
翌日、自由行動で一緒に骨董屋廻りをしてくれたのが、いまだにお付き合いして頂いている、北海道で色絵染付を作られている柴山勝さんです。骨董屋さんを回って仕事のネタになるものは、買える物は買う(コレクション)買えない物は、(しっかりメモる)・・・とても勉強家の先輩。魯山人と良寛を師と仰ぐ人でもあります。・・・その夜も、京都で柴山さんと一泊して、「いままでに他人に酒を奢ったことがことがないが、小山君が初めてだよ・・・。」と宿賃も惜しんで野宿も厭わない人に酒を奢らせ、麗しい夫婦の馴れ初めを聞き出し、正しい骨董屋廻りの手ほどきを受けたのでした。

・・・・・とりあえずここまで  続く
続き
「魯はね 自然観察が凄かったの 古典古作に学ぶことに躊躇いが無かったし 良寛を尊敬していたの・・・ふふふっ・・・」 柴山さんが傾倒する魯山人や良寛のことにも疎かったぼくには 多分馬の耳に念仏だったことだったろうと思う。
彼が店の戸を開けるときには「見せて下さ~い」と大きな声を掛けて入ってゆく。気に行ったものがあるとじ~と見ていてそこを離れない。買えないとなれば、手のひら大のネタ帳にメモを始める、咎められると外に出てまた記憶を辿りメモをとる。和歌にも精通していたな~。
 昨年久しぶりに電話があって「小山君、万葉集と良寛だけでいいから、ちゃんと勉強しなさい‼」・・・・「織部が織部じゃ だめだよ~」とまた、ご忠告いただいた。

魯山人について書こうと思っても、何も書けるわけではない。
偉大すぎて書けないということだと思う。・・・最近そう思う。

偉大と云う事が、高みに会って手が届かないということではない。
何よりも、自身の日頃の暮らしを美しく暮らした人の心の有様だから、
こちらもそうあろうと願って努力して 暮らすことが
魯山人を理解する一番の方法だと思い始めている。

成りきるなんて、とても出来ないけれどね 笑

木の葉状に櫛目で葉脈を描き 更に竹の子と竹を鉄絵で描き絵瀬戸にして本焼き・・・その後三彩を低下度にて焼き付け
・・・おしゃれな皿です 
淀みなく清々しい綺麗な器ですね
大ぶりな銀彩木の葉鉢 葉脈を櫛目で描き 水滴の粒?を付けている
鼠志野茶碗 口縁部など適宜釉を薄く剥いで 釉ムラによる景色を作りだしている

「古染写し」という織部を始めてみた

古染付写し赤織部向付

古染写しのナマズの向付を昨年の暮れに旧知のギャラリーに一点あるのを発見して譲ってもらった。作り手を知っていたこともあり、また年末年始何かと重宝しそうな予感も働いた。
織部の向付といえば、縁が切立ちで幾何学的な意匠のものが多いが古染では鳥・馬・魚・・・などの具象的な意匠がほとんどだ。いままでそれほど関心がなかったが、いざ手元において使ってみると、矢庭にむらむらと作ってみたくなった。・・・・・・・・・・面白い。

病みつきになりそう・・・笑

今回は練り込みの赤織部・・・とりあえず暫らくはこれで。
まだ、幾らでもバリエーションの展開が出来る。


もどき・やつし・軽み・かわいい  →   織部の世界

黄瀬戸織部

 

 

 

 

 

 

一昨年あたりからだったか・・・?黄瀬戸織部というものを焼き始めた。
黄瀬戸というには、少しいろいろ技巧を加えて、尚且つタンパンも盛大に使うので織部とした。
幾種類かの土を積み上げて寄木のようにしたものが、かつてあまり類例はないが桃山の唐津にあって、その複雑な表情をどうしたら作れるかと何度も試したが上手くいかなかった。10年以上まえのことだ。

2年前か京都の骨董商を訪ねた折に見せて頂いた志野茶碗にシンプルな練り込み?のものがあってどうやったものか写してみた。そのバリエーションを展開していくうちに、難題だったその唐津の茶碗が出来てしまった。
出来てしまえば、全てはコロンブスの卵だが・・・。まだまだ、何か展開できる可能性を秘めているようだ.

 

この茶碗は、楽焼の作りで仕上げた。 薄作りで350グラム程度だろうか。かつては、ゴツイ織部の茶碗が好きだったから それほど重さには拘らなかったけれど、長次郎の作った茶碗の作りとその削ぎ切った造形に興味がある。この茶碗もあと5度も温度が低ければものにならなかっただろう・・・。 「作り 上がり 景色」 が整った茶碗は、やはり中々出来ない。
こんな良い茶碗が 残って手元にある。
どうしてだろう・・・?????  



 

黄瀬戸織部茶碗

眼鏡と越前ガニと永平寺と

宿は日本海に面して 荒海の音が深夜も鳴り響いていたが 家人たちと 「よく眠れたよね~ 不思議‼」
その夜は 致せ理付くせりの蟹尽くしで 満足~を連発・・・温泉も塩分の利いていた
永平寺に着くと同時に 消防訓練が始まった\(◎o◎)/!
永平寺の閻魔さん 素晴らしい寺であった

家人が眼鏡を新調したいというので 
それなら 眼鏡の街(鯖江)に行こうと相成った

1月26日のことではあるが・・・

鯖江 眼鏡ミュージアムの古い眼鏡 紫水晶のレンズでいまでいうところの サングラスであるという
この越前界隈では 冬に水羊羹を召し上がるようだ・・・この店の物が 美味しかった