織部関連年表

 

織部 関連年表 1481~1639

これは「洛中桃山のやきもの」土岐市陶磁資料館編の年表に加筆したものである。
(誤記などありましたら、教えて頂けると幸いです。)

西暦(和暦)

一般・関連

茶道関連

窯業関連

1481

 

一休没 村田珠光に克勤の書を授ける。(当時ひゑかるると申して 初心の人躰がびぜん物しからき物などをもちて人もゆるさぬたてくらむ事言語道断なり)珠光の言

 

1483

 

珠光 新しい茶のスタイルを考案。(動きに於いて能を、イメージの連鎖に於いて連歌の影響を受ける。)

(銀閣寺東求堂に四畳半の茶室)

 

1502(文亀2)

紹鴎生まれる

侘茶の祖 村田珠光没

 

1512(永正9)

 

 

永正9年銘瀬戸四耳壷

  同  備前花瓶

1520(永正17)

阿米夜(長次郎の父)来朝帰化

紹鴎 信楽で茶碗を作らせる

 

1521(永正18)

利休生まれる

天目屋又四郎・瀬戸水指

 

1533(天文2)

 

奈良の塗師 松屋久政の〔松屋会記〕はじまる

天文年間 尼ヶ根一号窯で瀬戸黒茶碗つくられる

1537(天文6)

 

松屋会記に高麗茶碗の初見

 

1542(天文11)

 

信楽水指の初見

 

1543(天文12)

ポルトガル人種子島に漂着〔鉄砲伝来〕

 

 

1544(天文13)

古田織部 生まれる

 

 

1548(天文17)

堺 自治都市化 (東南アジアに日本人町が形成されるのがこの頃)

堺の豪商、津田宗及の(天王寺屋会記)はじまる。(堺 自治都市化)

 

1549(天文18)

フランシスコ・ザビエル 鹿児島に上陸〔キリスト教の伝来〕

天王寺屋会記に伊勢天目の初見

   同   備前水指、水翻の初見

   同   信楽茶碗の初見

 

1554(天文23)

 

納屋衆今井宗久茶湯日記書抜 はじまる

 

利休 信楽で茶碗を作らせる

天王寺屋会記に信楽茶壺〔茶入〕初見

 

1555(天文24)

武野紹鷗没

(志野宗信物ズキニテ呂宗白薬の沓鉢ヲ茶碗二ス、コレヨリ志野茶碗ノ名デル。後今井宗久へ伝ワリシ由、名物記ニ唐物トアリ、コノ茶碗の出来振リヲ尾張ニテ写シタルヲ志野焼ト云ウ。)?

 

1557(弘治3)
1558(永禄元年)

 
本阿弥光悦生まれる

今井宗久 志野?茶碗を用いる

弘治三年銘備前花生

1559

 

 

加藤景豊 大平に良土発見

1560(永禄3)

桶狭間の戦い

 

 

1561(永禄4)

 

天王寺屋会記に伊勢茶碗の初見

 

1562(永禄5)

北向道陳没

 

 

1563(永禄6)

 

宗及日記に 瀬戸茶碗の初見

松屋会記に 瀬戸肩衝茶入の初見

信長 瀬戸六作を定める

景豊 信長の瀬戸物保護制札を持って大平(由ヱ門)に築窯 浅間窯も?

1567(永禄10)

織田信長 岐阜城に移る

天王寺屋会記 備前花入れの初見

 

1568(永禄11)

信長 足利義昭を奉じて入洛する

松屋会記に備前茶碗の初見

 

1569(永禄12)

宣教師フロイス、京でキリスト教を広める

(大平窯はじまる)の記述あり

永禄十二年銘備前花瓶

 

1571(元亀2)

 

天王寺屋会記に信楽鬼桶水指の初見

 

1572(元亀3)

 

   同   瀬戸天目の初見

 

1573(天正元)

室町幕府滅亡

嶋筋黒茶碗(沓茶碗) 利休使用(口切りの茶会)。

 

 

1574(天正2)

 

信長 利休ら堺衆を招いて相国寺にて茶会

 

1576(天正4)

信長、安土城築城

 

 

1577(天正5)

 

天正二年銘楽獅子瓦(長次郎?)

大萱牟田洞に築窯(源十郎景成)
水上に築窯(景範)
久尻に景光
猿つめ窯(景貞)

1578(天正6)

 

天王寺屋会記に信楽花入 備前筒花入初見

 

1579(天正7)

 

宗及日記に白茶碗 松屋会記に黒茶碗の記述

 

1580(天正8)

 

天王寺茶会記 利休の茶会にて(ハタノソリタル茶碗)、宗及日記に(ユガミ茶碗)

 

1581(天正9)

 

   同  伊賀壺の初見

 

1582(天正10)

本能寺の変 織田信長没

 

景興 大平に築窯

楽焼〔茶陶〕はじまる

1583(天正11)

豊臣秀吉 大阪城築城開始

千利休 秀吉の茶頭として近江坂元の茶会にでる

 

1585(天正13)

 

千宗易、利休居士号に。

織部瀬戸十作を定める。

 

1586(天正14)

秀吉 太政大臣となる

松屋会記に「宗易形の茶碗」

宗及日記に瀬戸水指

瀬戸白茶碗

 

1587(天正15)

秀吉 九州を平定

聚楽第の完成

秀吉、北野大茶会を催す。

正月二日利休茶会に新兵衞【老茄子】茶入使用

勝負窯(景乗)築窯

 

1588(天正16)

 

山上宗二【山上宗二記】を著す

妻木窯築窯

1590(天正18)

 

利休 織部に(音曲)の花入を贈る

天正18年銘備前四耳壷

1591(天正19)

 

 

 

利休 自刀

津田宗及死去

 

 

1592(天正20)

 
    (文禄元年)

この頃、朱印船貿易がはじまるか?

秀吉、朝鮮出兵(文禄の役)
所謂 桃山時代の始まり

 

天正20年銘唐津三耳壷

1593(文禄2)

 

今井宗久 死去

文禄2年銘黄瀬戸皿(窯下窯)

1594(文禄3)

秀吉 伏見城を築きここに移る。

 納屋助左衛門、ルソンより帰国

波多氏滅亡により唐津岸岳系古窯は廃絶し、陶工は離散したという。

1595(文禄4)

 

 

文禄4年銘楽焼三彩獅子香炉。この頃西日本の藩主に伴い朝鮮半島より多数の陶工が渡来し、各地に開窯する。

1596(慶長元)

初代茶屋四郎次郎没(公儀呉服師)

慶長伏見の大地震

小堀遠州、古田織部に茶の指導を受ける「桜山一有事記」

 

1597(慶長2)

秀吉、朝鮮出兵(慶長の役)

 

 

1598(慶長3)

豊臣秀吉没

 

 

1599(慶長4)

 

織部、「セト茶碗 ヒツミ候也 ヘウゲモノ也」と記された茶碗を使う(宗湛日記) 「伏見より織部と云う茶の湯名人来候」(多門院日記)

茶会記に信楽茶碗の初見

今焼香合 ヤキ皿の記述

1600(慶長5)

関ヶ原の戦い

後藤庄三郎(彫金師・鋳造師の家系)金座の主催者となる

 

セト四方皿

1601(慶長6)

後藤庄三郎、家康の旨により銀座を設置する

茶会記に備前香合の初見(松屋会記)

 

1603(慶長8)

徳川家康、征夷大将軍となる
江戸幕府を開く

 

 

 

慶長8年銘黄瀬戸向付

1604(慶長9)

糸割符制度の制定(有来新兵衛の生業)

茶会記に備前掛花入の初見(宗湛日記)

 

1605(慶長10)

徳川秀忠、征夷大将軍となる

茶会記に京焼に初見(宗湛日記)

唐津茶碗の初見(松屋会期)
タバコの栽培始まる

慶長10年銘志野向付

この頃 元屋敷窯開窯(加藤景延)

1606(慶長11)

 慶長通宝の鋳造

「織部茶会 香合今焼き白」(宗湛日記)

慶長11年銘織部平向付(二引両の家紋も描いてある)

1606(慶長12)
1610(慶長15)

 

 
織部、徳川秀忠に点茶式を伝授

慶長12年銘コウ鉢(元屋敷窯)

1612(慶長17)

 

(織部者 当時数寄之宗匠也 幕下甚崇敬之給)

慶長17年銘信楽水指

  同   伊賀掛花入

  同  織部獅子紐香炉

  同  美濃伊賀水指(元屋敷窯)

1614(慶長19)

大阪冬の陣

 

慶長19年銘コウ鉢片(窯ヶ根窯)

1615(慶長20)

大阪夏の陣(大阪城落城)
美術史で「桃山時代」の終りとされる。

古田織部 自刀

本阿弥光悦、京都鷹ヶ峰の地を拝領 以後、作陶が始まると推測される。

1616(元和2)

徳川家康 没

 

李参平、泉山に白磁鉱を発見し、磁器焼成がはじまる。

1622(元和8)

 

 

元和8年銘青織部燭台

  同  備前二重切花入

  同  志野織部台付碗

1624(寛永元)

 

桂離宮完成

 

1626(寛永3)
1636(寛永13)
1637(寛永14)

 
日本船の海外渡航禁止
島原・天草の乱おこる

草人木 刊行

 

光悦亡くなる

1639(寛永16)

鎖国完成(ポルトガル船の来航禁止)