織部 参考文献

[極私的] 織部にまつわる 参考文献 35

 署名

著者

発行年

出版社

備考

網要 日本紋章学

沼田頼輔

1977

新人物往来社

昭和3年刊の復刻版。日本の意匠の面白さを教えられた。

造形思考ノート

粟津潔

1975

河出書房新社

「九分の丸」の章は、多くのバリエーションを生んだ家紋の作図法について書かれている。平向付などの型の意匠はこの作図法で行っている。

美濃の陶片

荒川豊蔵監修

1973

徳間書店

実作者が書いたところは、(実録)の重みがあってとても貴重な一冊。そば猪口コレクター松岡寿夫さんから頂いた。

かまぐれ往来

加藤唐九郎

1984

新潮社

「茶道から中世へ」の章など読んでいると、その物事を深く理解しようとする知的欲求の旺盛さに驚くばかりだった。過剰さが好きだ。

日本の美術

志野と織部

藤岡了一編

1970

至文堂

(志野・織部)系のもので初めて買った本。素直に、「どうしてこんなに作為的でしかも下手な絵なワケ・・・」と思ったのを覚えている。無知はこわい・・・

芸術新潮 (天下の茶人古田織部の謎)

 

1992

新潮社

【織部を生んだ(かぶき者)の時代】この松岡正剛氏と熊倉功氏の対談で、《もどき・やつし》という言葉が醸し出す意味が、《はかなく・あやしい》織部にピッタリだと想った。

季刊 陶磁郎30

特集 志野・織部

 

2002

双葉社

ケルト文化の研究家(鶴岡真弓さん)が織部を語るという切り口が、

「非・日本的」な織部を浮き彫りにしていく。非・日本的といってもジュン日本のことともいえる。オリベはひとつの現象なのだろうか。トージローは人選がラジカルだとおもった。

「美と食の天才

魯山人

黒田草臣

2007

講談社

魯山人という天才の生涯.・・・暮らしを支える食と工芸を自らの色に染め上げた、破格の高等遊民《美的生活の実践者》を、絶妙な関連写真と端的な言葉で織り上げた一冊。棟方志功の(板極道)などを読んでも感じるのだが、縄文時代からの地下水脈(人脈)だなとおもう。

まめざら

貴道裕子

1999

スーパーエディション

京都・てっさい堂のご店主の本。初めて訪ねた折に買い求めた古い織部の小向付がその後、僕の仕事の愉しくも大切なジャンルとなった。本を開くといつでもそこはかとなく良い香の薫りがする。

対極 桃山の美

倉沢行洋

1992

淡交社

この本は、国立歴史博物館で買った。あまさず読んだ。第14章

「利休と芭蕉」は、わかり易くその到達点を比較する。そこにこそ織部の本質があるとおもった。

有来新兵衛考

《陶説に9回に亘り連載》

富岡大二

1985

陶説

京都三条の糸割符商人・有来新兵衛の屋敷跡あたりから桃山の焼き物が多数発掘されて物議をかもしたのは、そう昔のことではない。焼物問屋でもあったのだが、その新兵衛もまた茶碗などうまいこと作ったから面白い。

やきもの鑑賞入門

出川直樹

1997

新潮社

マニアックな、読める本です。

利休・織部・遠州

熊倉功

1991

小学館

《やつしの美学》と茶を言い切るところがかっこいい。土方巽氏が採集した《衰弱態》もやつれに向かう美意識の点ではこの《やつし》と同じ位相だろう。「すり減って体もいずれ埃になって消えるのさ。幽霊に足がないのはそのせいですよ。」(土方談)
とモノが醸し出す空間に関心がいつもシフトしていた。。

日本中国の文様辞典

視覚デザイン研究所

2000

視覚デザイン研究所

文様図のレイアウト・コメント 程良い類例 基礎知識や伝来のウンチク 微に入り過ぎず 細を漏らさず 実用書です。

骨董の名人に聞

やきものの見分け方美濃

 

1999

学研

桃山の多彩な美濃焼を種類別にわかり易く解説。写真も気の利いた使い方です。

古田織部―桃山文化を演出するー

矢部良明

1998

角川叢書

古田織部について、資料に基づき書かれた手堅い本。

日本古代文字考

落合真澄

明治21年

 

古来、出所不明の窯印のマークについて、古代文字からの由来として一石を投じているが、これによると有来(うらい)新兵衛のマーク《丁》は《う》と読めるから不思議です。(他の解釈もあるが。)

漂泊の精神史

赤坂憲雄

1997

小学館

僕の周りにはその昔 踊る者、ものつくり、楽人など異妖異態の人が多かった。そのような一所不住の流れ者めいた人達とは何なのか・・・。魂にうがたれた蒙古斑のようなものを持っているのか。

日本の歴史をよみなおす(全)

網野善彦

2005

筑摩書房

日本の中世。焼物つくり、という職人仕事をしているせいか、かつての職能人はどんな社会的立場で暮らしていたのかを、日本の中世社会を鳥瞰しながら見たらどうだろうと読んでみた。

千利休 無言の前衛

赤瀬川原平

1990

岩波書店

映画(利休)の脚本を書いた美術家である著者が、稀代の茶人を語るのである。おもしろくないはずがないし、常に権威を茶化しながら本質を軽妙にみせてくれる。

遊楽No77

 

2000

むげん出版

【美濃の陶片】の特集。しぶや黒田陶苑の常連さん、多々納彌さんが寄稿している。タタノさんの海老名の家には幾度も訪ねた。奥さんの美味しい手料理に盃を重ねながら、コレクションの古陶や織部の陶片で勉強させてもらった。無類の読書家でもある。

自分の頭と体で考える

養老孟司+

甲野善紀

2002

PHP文庫

織部は極めて身体的なやきものなのである。

身体感覚を取り戻す

斉藤 孝

2000

NHKブックス

   同上

人間の美術1

縄文の神秘

梅原 猛

 

学研

縄文的と織部的。奇想の造形と表面をおおう文様。縄文人と武家。

かたや一万年の歴史をもつ縄文である、20・30年で現れて消えた織部と比較するのは見当ちがいかもしれないが、潜在する民族の意思(魂)とは時を得て、このように共鳴するものだと想う。

アニミズム時代

岩田慶治

1993

法蔵館

民博の月刊《みんぱく》1994・1で岩田先生の事を知った。すぐにこの本を取り寄せて読んだ。それから間もなくして京都のお宅を訪ねる事が出来た。ミーハーになって本にサインをねだった。それ以後京都での個展の折に幾度か白川沿いの白い家に只々、話を伺いに行った。いたって身近な日常のことを平易にひたすら語るなかに不思議なことが沢山隠れていた。

詩集 旅人かへらず

 

西脇順三郎

1978

恒文社

1947刊の復刻版。どこか古代の息遣いで不思議な季を紡いでいる。少し可笑しい。人間が出しゃばらないのが好きなのかもしれない。「この壺をこわせば 永劫のかけらとなる・・・」の一節がもったいぶっていて好きだった。

「洛中 桃山のやきもの」 カタログ

 

1997

土岐市美濃陶磁歴史館

ここでの企画展のカタログは充実している。幾度も足を運んだ。

 

「美濃古陶展」

カタログ

 

2005

岐阜県陶磁資料館

ここは、桃山の陶片も手にとってみせてくれる。粘土を仕入れに行く時は必ず立ち寄る。

織部の絵模様

古川庄作

1979

岩崎美術社

やきもののデザイン〈3〉 写真も多く解説も丁寧。

藍のそば猪口700選

松岡寿夫

2003

小学館

そば猪口の絵柄の分類も展開写真も面白いけれど、読書家の松岡先生のコラムに優しさがあふれていて好きだ。

遊楽No32

 

 

1994

むげん出版

鎌倉出土の漆絵の特集 桃山の陶器に描かれた絵から遡ること300年前の漆絵がほぼ同じタッチで同じモチーフを描いていることに驚いた。松岡正剛風にいへば桃山陶も、日本人の編集能力の賜物ということになる。

絵皿模様づくし

 

1996

平凡社

骨董屋のご主人が絵柄の勉強になるからと送ってくださった。そのようなことも手伝ったのか、織部でも絵付けが面白いし大切だと思うようになる。このころから、1日1時間は筆をもつことにした。

陶説 No648

荒川正明

2007

日本陶磁協会

「志野と織部-風流なるうつわ」展にちなんで書かれた論考 このようなものでも宗教性を帯びたものに関してはあまり踏み込んで書かれることが少なかったかに思う。本来、工芸はもっともプリミティブな宗教的感応から発しているのであるから、さらに語られるべき領域だと思う。

「陶磁器の文化史」

カタログ

 

1998

国立歴史博物館

焼物の通史を《アジアと日本》《人・物・技》の視点からしっかり頭にいれておきたかった。「よっ 国立!」といいたいほどの企画展でした。

 

スピリットの器           徳井いつこ著    1992  地湧社  
※   プエブロ・インディアンの土器つくりに携わる女性を通して、その  精神文化を紹介する。   
  かくあるべし、と思った確信の一冊。

家紋の話 -上絵師が語る紋章の美ー 泡坂妻夫著     1997        新潮選書
※上絵師にして推理小説家という著者が、実作者の立場から、かつての紋章学では語られなっかった美
     の観点からの言及がこの本を豊かなものにしている。泡坂氏をもってなしえた一冊といっていい。
     技法の意味やその背景、あるいは江戸文化についての言及は、江戸っ子職人のプライドをちょっと覗
  かせてもいる。