普通 氷の柱と書けばつららのこと。
でもこの姿をみれば こっちの方が、
柱というに相応しいたくましさを感じる。
冬の間地面の表層数センチ下のとこ
ろで10cm~15cmほどに霜柱が
成長する。この成長する水は、大変な
力持ちであることはいうまでもない。
《ぐぐぐっ…》と声が聞こえてくるようだ・・・
春を告げるように 庭先の日だまりが
ボコンっと凹む・・・そこからアンダーグランドの世界を覗いてみた。
東京で一番好きな場所・上野・東京国立博物館
そのなかでも好きなのは東洋館
昨年は改装中だった・・・
今回はリニューアルしてお目見え。
まずはゲートを抜けて右手の東洋館へ、
小規模ながらミュージアムショップが
新設されていた天井の高い、というより吹き抜けの展示ルームにはいる、ここは石仏がみられる。
巨大な石仏、菩薩立像が2体 レリーフの仏達・イケメンのガンダーラ仏・写真を撮っていたら・・・
気をつけていたはずが、フラッシュをたいてしまった
監視のひとが「ダメですー」と素早く走り寄ってきた・・モウシワケない
広い階段をのぼり…中東の焼物・ガラス・エジプトのミイラさん
最近(3・4年になるが)焼物でつかっている円筒印章のヒントはこことオリエント博物館だった‼ 中国の巨大な書・・・etc
次の階(3階?)が韓国・中国<個々の工芸は無論観賞に値するが
ぼくのお気に入りは、堅そうな黒い石に刻まれた「画像石」・・・
漢の時代の楽団・踊り・曲芸が彫られていて、先祖の霊を楽しませるものだという・・・
ちょっと キツネ目の顔がいいし、どんな意味があるのか長い袖の衣装、
誇張で描いてはいない・・・いつだったか、どこでだったか
見たことがある。
長い袖で踊る人 と曲芸師(ボードビリアン)
・
その脇で3種類の、それぞれ占いをしてくれるボランティアの女性がいた・・・これは新しい試みだ。
今後のぼくの「運」も見てもらえばよかったか? まだ なじんでいない 感じ。
横を通っても、「観ていきませんか・・・」とお誘いの声はかからない。
ちょっと視線はあったけど・・・。
いかがわしさのスパイスがないのだ。
とりあえず まあいいか。
円空さんは、菩薩様も捌ききれないほどの人だかりでほぼ 通過。
いつかまたじっくりゆっくりお会いしたい。
画像石 二人が芦笛か(インカなどにある・パンフルートといったか?)・・・芦笙ですね。
中は胡弓か?・右は古筝(小さめな琴)みたいなものだろうか?)
菩薩立像(4.5メートル?)
この菩薩様の光背の側面と背後が千体仏になっている。これだけ大きいものだが、細部まで細工が行きとどいている。粗いところが全くないのに感心する。・・・当然なのは分かっているけれど・・・
今回は、本館・一般展示室でも木造仏を撮っていた時に、撮影禁止のもの(気付かなかった)に
カメラを向けた途端・・・「止めて下さい・・・データーを消してー」とお声がかかってしまった。
(いままでこんなことはなかったのに・・・注意力が散漫になったのかもしれない・・・)
☆ ミュージアムショップの工芸・書関係の書籍が充実している‼ ここで、時間を潰すことも多い。
東博さーん・・・焼物のコーナーで実演しますよー・・・ (上手くはないが)
こんな面白いブログもあった(゜o゜)
http://officemaki.exblog.jp/19583450/
(承諾して戴きました。)
「月刊みんぱく」1994・1 が岩田先生を知るきっかけとなった。季刊「民族学」の姉妹編のようなもの
だ。6ページにおよぶインタビューの一言一句が既に知っていたことのように腑に落ちた。そして、出
版間もない「アニミズム時代」という本を取り寄せた。(これから書くことは全て繰り返しになるが・・・。)
ぼくは、20代前半に舞踏家の土方巽師のもとに2年間おせわになった。わけも解らぬままその渦中に
身を任せていたといったところが実状だったと思う。踊りの稽古を重ねるなかで土方師が語った言葉や
紡ぎ出すイメージ、あるいは様々な現象に対する解釈が、ぼくには土方師の独断的な思想あるいは
奇妙で可笑しな言語遊戯に想えた。・・・膨大な書籍と広範な人脈・そして知的梁山泊と呼ばれた館
のヌシが語る話は、表層の日常をある種魔術的リアリズムとでも呼べる薄皮を剥いだ日常としてみせ
てくれた・・・と思っていたのだが、そうではなかった、実のところ師の言葉はわれわれ現代人が、科学
的常識を優先するがために置き忘れたアニミズムの視点から発せられていたといってもいいのでは
なかったか。
アニミズムという視点から、「地」から宗教の抱える問題をとらえ直そうとしていた岩田先生の言葉が
「既に知っていたことのように腑に落ちた。」のはそのためだった。
そのあたりのことを、2人の残した言葉と僕のわずかな記憶から比較してみたい。
・・・少しづつ これから。
つづく