「思記」カテゴリーアーカイブ

家紋の話

京都三条の古書店で買った。以前から読もうと思っていたので旅先ではあったが手に入れた。
紋章上絵師にして推理作家の著者が、実作者の側からどんなふうに家紋を語るのか楽しみだが
まだ読んでいない。必要な時に必要なページをめくる本なのかもしれないが、暫くは枕元に老
眼鏡とセットで置いておこう。

 

//[10/21追記]//
読み始めたらいっきに読んでしまった。
たとえばこんなところ、「丸とは円の直径の九分の一よりやや太めというあいまいな表記をしましたが、
きちんと限定しなかったところが職人の知恵だと思います。限定しなければ融通がききます。たとえば
一の字ですとか十の字。 あるいは釘抜や石といった、ごく簡潔な紋のときには、丸を太めに描いた方
が全体のバランスがいい。反対に中が複雑なかたちの紋のときには細めに作図するほうが美しく見える
のです。」104㌻
このように実作者ならではの職人の(知恵)の類や、とかく家紋ということで系譜を辿ることや文様の
意味や類型化に偏りがちな著作をしり目に、生きた家紋史を開陳してくれている。家紋にもまた織部焼
が形成されてゆくのと同じ日本的気質が垣間見える・・・部分への偏愛のようなところがある。
「そのてがあったか・・・」「これじゃあ、どうだい・・・」「それもありですか・・・」  

深い意味で、オタク文化かもしれない。

 

 この本は、いつだったか多々納さんという方と高円寺にうなぎのモツ焼きを食べに行った帰りに寄った
古本屋で買った。もともと僕の父が、持ってはいたのだが中々譲って呉れなかったのでこれ幸いと手に
いれた。紋章学というぐらいだから、紋のデザインのおもしろさよりも成り立ちや系譜あるいは地域分
布などについての記述に重きが置かれている。これで普及版だから本編はまた大変なものでしょう。
泡坂氏は、上絵師職人を見下げた記述をしている個所を、「家紋の面白さがわかっていません ね・・・」と
江戸っ子らしくサラリとかわしている(意訳)。しかし、「余は最愛の女と糟糠の妻とを喪い、坐に人生の悲哀と世路の艱難とを体験し、加うるに貧弱なる生活は、物価の暴騰によりて深刻に脅威せられたりき」と自序に
書かれている下りは、学者の仕事ではあるがなにかその切実さが身近に感じられてちょっと好きだ。
   ただ家紋などは何かと目にも触れるものでもあるし、曰く因縁を少し知っておくことは無駄にはなりま
せんよ。  11/22  追記

 

 

ぎ お ん


辰巳橋を渡ると若者が俄か舞妓さんを撮っていた。まさしくここは虚々実々の世界のY字路である。

この辰巳橋界隈は祇園を訪れたことのある人は、一度は立ち寄るのではないでしょうか。白川の脇に
櫻の枝がたっぷりと張りだして花の時期はことのほか美しい・・・らしい。そして辰巳稲荷。
いつ通っても誰かが写真を撮っている。右に行けばお茶屋さんが並び、左に行けば中ほどに吉井勇の
歌碑が建っている。

        かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる

何てことはない遊び人だった吉井のしみったれた句にしか思えんけど・・・なんていったらしかられるか?
単なるヒガミだね。

志功が板画にした流離抄には、いい句があるのにね。

             夕ざれば狩場明神あらわれむ
           山深くして犬の聲する    《右の板画の句》

【・・・「ゴンドラの歌」もそうだ。 ♪命短し恋せよ おとめ・・・♪】

           山に問う山は答えず山をゆき
                  山のこころをいまださとらず

この句は岩田慶治さんがどこかで引用していた気がする・・・記憶違いか・・・。

そば切り

 

 

ここ数年目立ってソバ畑が増えて白い花が目を楽しませてくれます。「ソバ打ち渡世人」を自称して
いる旧知の池田さんがそば打ちに出かける新潟県三条市の徳誓寺さんに2日間のそば打ち体験と「小
作品展」で(新潟の美味しい酒と海の幸に酔いしれながら)、行ってきました。二言目にはダジャレの
話に疲れながらも拘りの道具と蘊蓄の間に聞こえるそば切りの音が心地よく耳に響きます。またお彼
岸でもあり、地元の方々の篤い信心もこころに残りました。合掌

                                                                

 

                                                                      

手だけではナンなので、一応こんな絵も。そば打ちの台、そばを入れる箱、受講生の包丁箱、のし棒
入れの塩ビ管、手打ちのmy包丁入れなどを自作、台の腰巻、のぼりを特注・・・と歯の抜けた口元から
「どうだ‼」と云わんばかりに息を洩らして、押さえた笑いから自作・自演のそば道場は始まるのだ。
水はもちろんポリタンクに詰めた戸隠の名水を持っていくのである。

 

                

秋 明 菊

秋明菊が咲き始めました。スラッと高くて風に揺れる姿が可憐です。八頭身美人というところか。白い
花がひときわその名を象徴するように、周りを明るくする。随分以前のことだが我が家に秋明菊がなかっ
たころ個展会場の飾り付けに御近所から花を頂いたことがある。個展が終わりお礼に頂き物の菓子折り
を持っていったのだが「そんなタイソーなモナーいただけねぇ・・・」と受け取って貰えなかった。その時か
ら花言葉が「カタクナな明るさ」になった。

                                                                         一か月が経ち・・・姦しいほどのはなが咲いている。これほどあると、なんだか雑音めいてくるが今手元に
ある本「音 沈黙と・・・・」の著者ならばきっとこの花の有り様からでも聞いたこともないような音を生み出
すのだろう。