「アニミズムと今日」と副題が付く。(・・・こことそこ、あのときとこのときが一体になる。そ
んな不思議の場所、同時空間を、森羅万象にカミを体験する、アニミズムの立場から
探究する・・・) 。宗教以前、人は何を想い、感じ、語り、畏れ・・・暮らしていたのか。
その答えを求めて幾度にも亘る東南アジアの少数民族地帯でのフィールドワークを通
じて、古くて新しいアニミズムの(カミ)を再構築した。1970年代から先見的に語
られた今日への警鐘。・・・全く話は逸れてしまうが、渋沢龍彦の著作「幻想の彼方へ」
のなかにポール・デルボーの描く〈樹木の女〉と題する絵があることを思い出した。西
洋風な夢の庭で4人の腰のあたりまで樹木化した女性が思い思いの仕草で立っている
絵画だ。意図するところはそれぞれ違うのであろうがデルボーの描く世界にも既視感
とも不思議の場所ともいえるものが備わっている。
この本は岩田慶治著作集の月報に連載されたものをまとめたもので、お住まいのある
哲学の道界隈の散策での「一日一微小発見」の結果報告ともいえるものだが、絵の達
者な著者のイラストが効果的に使われ、イメージの方程式を差し出されているようだ。
それが足下、眼前の出来事であるからおもしろいのである。 11/2 追記
《変な話だけれど、どうしても治らない皮膚病の部分を見ていると、そこに自分のなかに
食い込んだ風景を見る思いがする。外部の雲の模様が内部のカサブタになってしまっ
たのだ。その風景がかゆいのだ。》
《かれらイパン族は朝ごとにモミを精米して食べる。そのとき、立ち杵、立ち臼を使うの
だがかれらの臼には手の込んだ仕掛けがあって、米を搗くたびに心地よい音がひびく。
臼は台所道具であると同時に楽器だったのである。朝ごとにひびく音は村人を喜ばせ
るとともに、屋根裏の大籠のなかに暮らしている稲魂の家族をも喜ばせたのである。》
イパン族というのは、一般に首狩りをしていた野蛮な人たちとされているが、音にたい
する感受性のとても強い民族で独特な音文化を形成していた。
・・・人間の魂と稲の魂が音の介添えによって循環する・・・
岩田先生の語る言葉は、その豊かな世界を描くためにイメージの飛躍を伴って詩的で
あるがその因って立つところは極めて客観的な現実である。そこが、僕には土方先生
の舞踏性とか舞踏的といった世界が成立しているところに思えるのである。・・・
11/17 追記
2013/2/22
2/17 岩田先生が亡くなられた。 91歳。お会いしたのが僕が40歳ほどだったからあれから
20年近い年月が流れていたとは俄かに信じがたい。先生はいまどこにいるのだろう・・・。
自ら描かれた絵のなかに入って行かれたのだろうか。
目を閉じて聞けばやさしき春の風
くすの若葉をふきわたりゆく
春に逢う己がこころのひそけさや
紅梅の花いまだふふめり
ひとりきて林のなかに憩ふとき
ひかりはゆれぬ手帳のうへに
(バリオ高原にて)
疏水の流れを走っていく落葉
黄色の時が急ぎ足で遠ざかり
褐色の時が深みに沈もうとし
その奥に無色の時がひろがっていく
いつも「同時」をめぐって考えながらー。
・・・賀状に書かれた言葉や知らせが先生の思想そのものになっている・・・
いつも若輩の僕などにも丁寧な言葉つかいで、みずからの今の関心事・日々の事・
これからまとめあげたいことなどを教えてくださる・・・
自ら(森羅万象)との対話は終わらないのだろう
ご冥福をお祈り申しあげます。
合掌