ミミズク香合ネタ・・・で

桃山期に作られた織部の香炉に ミミズク香炉(高さ11㌢程)がある。
20年前になるけれども 家族で10日間の東北旅行をした折に岩手県の久慈のあたりだったろうか 全紙大のアジア民族博物館のポスターが目に入った。 ポスター一杯に大きく引き延ばされた竹で編まれたミミズクの工芸品だったけれど それは間違いなくその織部で作られたミミズク香炉と瓜二つのものだった。それが何に使われ、いつ頃作られたものかはついに分からずじまいになってしまったが・・・。
織部に限らず桃山の茶陶には 水指・花入れ・鉢などに 東南アジアの竹工芸の器の形を模したものがかなりある。 正確に写すというよりも その形の印象を借りて ”もどき・やつし”をしているといってもいいかと思う。
素材を置き換えるという”竹→土”ことは、どんな意味合いを含んでいたのだろう。 本来あった形の意味が省略され 痕跡を留めるだけとなっていたり 部分の強調によって 歌舞いてみせているものもある。つまり桃山の創造とは 相対立する現象を互いに互換するように補完するように用いているのではないだろうか。・・・もどき・やつし・かぶきという方法を用いて。
引用の迷宮に遊び、謎解きを愉しんでいる高等遊民のカンブリアン的創作の時代だったとも見える。

ミミズク香合ネタといっても 何かある訳ではない。香炉でも香合でも
当時はいろいろ作られている。ことに小品の水滴などにもミミズクに限らず動物を模したものが随分みられる。
ぼくも、気が付くと何かと、動物ものを作ってきた。”・・・かわいい~”ということもあったのかと思うが、最近はアニミズム的なところでの”カミ”を何かしらみんな感じているのではないかと思い始めている。
蛙・ウサギ・猿・雀・水鳥・蛇・クマ・虎・獅子・・・どこかに象徴的な意味を内在させて 無意識の物語の中に遊んでいる。神話の世界に立ち返っているような空間を知らず知らずのうちに追体験しているのかもしれない。

・・・・このあたりのことも、「人と物の関係」を考える上で大切な要素と考えている。

 

ミミズク香合