「思記」カテゴリーアーカイブ

 花に嵐 ・ 春の雪

大田原 実相院のさくら 今年の春は、実にさまざまな姿を見せて
くれる。
左の写真は大田原市の寺を訪ねた折の
満開のさくらだ。
この寺に辿りつくまでの高速道路や市中の
さくらも、ここぞとばかりに咲き誇っていた…
文字どうりの春爛慢の美しい景色だった。

  ところが、この翌日の新聞やTVでは
「春の嵐・・・ご注意‼」 のことばが踊っていて
宿泊した足利での夜は、夜通し激しい風の
音が窓越しに聞こえていた。翌日も一日中・・・嵐であった。
景色が一変したことは、いうまでもない。

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それから2週間後の戸隠・・・春の陽光をうけて光り輝いていた ひめこぶしの花になんと たっぷりと
雪・・・それはそれで美しくは ありますが・・・


新古今和歌集などひもといてみれば 思いのほか
この春の雪にまつわる 句 が多く集められていた。

今さらに 雪降らめやも陽炎の
             もゆる春日となりにしものを
                    
                  

 

 「岩田慶治と土方巽」 (私見)

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「月刊みんぱく」1994・1 が岩田先生を知るきっかけとなった。季刊「民族学」の姉妹編のようなもの
だ。6ページにおよぶインタビューの一言一句が既に知っていたことのように腑に落ちた。そして、出
版間もない「アニミズム時代」という本を取り寄せた。(これから書くことは全て繰り返しになるが・・・。)
ぼくは、20代前半に舞踏家の土方巽師のもとに2年間おせわになった。わけも解らぬままその渦中に
身を任せていたといったところが実状だったと思う。踊りの稽古を重ねるなかで土方師が語った言葉や
紡ぎ出すイメージ、あるいは様々な現象に対する解釈が、ぼくには土方師の独断的な思想あるいは
奇妙で可笑しな言語遊戯に想えた。・・・膨大な書籍と広範な人脈・そして知的梁山泊と呼ばれた館
のヌシが語る話は、表層の日常をある種魔術的リアリズムとでも呼べる薄皮を剥いだ日常としてみせ
てくれた・・・と思っていたのだが、そうではなかった、実のところ師の言葉はわれわれ現代人が、科学
的常識を優先するがために置き忘れたアニミズムの視点から発せられていたといってもいいのでは
なかったか。
 アニミズムという視点から、「地」から宗教の抱える問題をとらえ直そうとしていた岩田先生の言葉が
「既に知っていたことのように腑に落ちた。」のはそのためだった。

   

そのあたりのことを、2人の残した言葉と僕のわずかな記憶から比較してみたい。
・・・少しづつ これから。

つづく

こ ま い ぬ

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戸隠という土地柄がそうさせるのですが、神社に詣でることが多い。
初もうでに始まり、朝の散歩で行くこともある。
考え事がまとまらぬ時や、最期の神頼み、ときにはあてもなく訪ねるということもある。

やっぱり何度訪ねてもいいものだ。
からっぽの空間に身をゆだねているうちに、からっぽがうつってしまったような・・・。
少し軽くなった気分で石段をおりている。
とはいっても、それほど信心深いわけでもない。

神社の境内の
いつもそこにいる 「こまいぬ」 ばかりを撮った写真集を見たことがあったが
その容姿がことごとく違う、甚だしく違うのに驚かされた記憶がある。
部分の強調と力技のバランス感覚の放棄
・・・作り手の想像力にまかせた分だけの貌があるのか。
・・・
少し妖気を孕んだような
どこかに素朴な可笑し味をたたえているものが好きだ。
ここにも織部につながる日本のかたちがある。

(李朝民画などと魂を同じくするとでもいったらいいのか・・・)

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 戸隠神社中社の小さな狛犬

 

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 宝光社

  IMG_2380                                       奥社

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歪みについて・・・

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「多少とも歪んでいないものは感銘を与えないように見える。・・・その結果
規則外れ、即ち、思いがけないこと、虚を突くこと、びっくりさせることが、
美の、本質的な一要素であり、また特徴である、
ということになる。 

【ボードレール】   ( 火箭・赤裸の心) から

 

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大成若缼、其用不弊、大盈若沖、其用不窮、
大直若屈、大功若拙、大辯若訥、躁勝寒、
静勝熱、清静為天下正

・・・最もまっすぐなものはまがっているようにみえ、
最も技量のある人は不器用にみえ、・・・

【老子 道徳経 第四十五章】



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・・・でも円の過剰はむしろ 
人間の保全に害をなす
ある陶器の名工はその遺産の
圧迫から自由を求めていびつ の茶碗を
つくりひそかにたのしむのだ
すぐれた芸術の秘密はイロニイという
諧謔でありそれがないと芸術はない
なんとうるわしいヘンチキリンさだ 

 

【西脇順三郎  詩集・人類】

 

tuiki   2/8

大体焼物の知識が皆無なところに
いきなり歪んだ織部にであったのだから、縁があったのか
それとも不運だったのか・・・いまさら考えてもどうなるものでもない。
生来、考えているのが好きなタイプの人間ではあるのだが
一度だって結論めいたものに辿りついたことがない・・・
この【歪む】というのも
その理由は無限にあるのであって限定することほど
野暮なことはない。

正直なところ
これほど普遍的な有様はないだろうし・・・
そこに諧調も生まれるのだ
と思っている。
棟方志功の人のフォルムも
土方巽の踊る姿も
織部の茶碗も同じ位相のなかにあるといったら言い過ぎだろうか。

tuiki  4/12

【柳 宗悦】

模様とは、なくてはならぬものの強調である。ここでグロテスクの美が発生する。
模様は何らかの意味でグロテスクである。グロテスクとは、単に奇怪というような
ものではない。本質的なものの強調である。最も美しいものはどこかにグロテスク
の要素を帯びる。そうしてその表現の全ては模様なるもので示されてくる。ここに
美と工芸性との深い結縁が見える。                 《工芸文化》より

 

つづく