♪月がとっても青いから~

遠回りして~♪ 帰ろう~♪ ・・・とかいうことでミミズクの香合
を出してみた。
何が約束されているわけでもなく
ずーっと手探りでやってきたようなものだから、
心細さをふり払うためには丁度いい
歌(フレーズ)だった。

facebookを始めました。
不便さを大切にしてきた者には便利すぎる世界だが
程良い関係の取り方というのもあるのだろう。
「想う」・「待つ」とか「届く」「迷う」という「間」の喪失感もある。

いままで以上に手紙を書くか。

 

ね。













仕事は見えるようにしろ‼

この言葉がどんな経緯で発せられ,怒鳴られたのかは忘れてしまったが、
何かと思いだす言葉だ.


ところは、いまでは解体されてしまった歌舞伎座の大道具の現場だ。
余程、身に応えたのか、いまだにどんな仕事をしているときも、
「見えるように・・・」が
優先順位の一位である。
といっても、「見えるように・・・」というのが何を指しているのか
いまだに謎なのである。
「チンタラヤッテンジャァネエヤ・・・」が前にくるのか?
この「見えるように」に含まれる意味は深い。江戸大衆文化の象徴でもある歌舞伎の「いき」が
コーティングされていると僕はみた。


写真はそのころ使っていたゲンノウ(カナヅチ)である。
これを腰袋にいれてあるいはベルトに挿して、舞台転換のときに飛び回るのである。

「所作台」
出し物にもよって、所作台という敷台を舞台全面に敷くことがある。
いわば床を踏み付ける音を、より大きな音にするための装置みたいなものだ。
60cm×210cmぐらいだったが板が厚いのでかなりの重さだったが、これを肩にかけていとも簡単に運ぶ裏方は
イキだった。 それと対照的だったのが黒子さんで内股歩きで 
舞台裏の薄暗がりで「ねえねえ・・・」なんて
声を懸けられたこともあった☆ヨナ。

少し歌舞伎の裏方の事でも書いてみようかな

12/6      追記

中村勘三郎さんが亡くなりましたね。歌舞伎が大衆のものであったことを
常に意識し、謙虚で、新しい事に挑戦した
人だったらしい。

 

先代の勘三郎さんが坊主役で、幕が開くと上手に立っている
という「出」があった時に、下手に
腰袋を下げた坊主頭のぼくが立っていたことがあった。
一瞬眼があって、
もちろん僕は、すぐに引っ込みはしたのだけれど
・・・大目玉を食らうかと思いきや
「おいおい、下手にも坊主がいちゃあ、不味いだろう・・・」と笑っていたよ
とあとで教えられた。
カブキは、フトコロが・・・でかい。



もうひとつ、歌舞伎の生命力を感じたのが次のような事だ。

丁度そのころ、映画で巨大なサメのでてくる超娯楽大作「ジョーズ」が封切られて
チマタの人気をひとりじめにした・・・その直後ぐらいだった
だろうか。

歌舞伎座でも・・・やってくれました・・・
大舞台全面に、青い布を敷き・・・上手下手の裏方が両脇で布を煽り・・・荒海を演出し
小舟に乗った漁師の前に
奈落から・・・巨大なサメの頭部がせり上がって出現したのである。

「受けねらい」の典型ではあるが、・・・文句なしに面白かった。

当然、看板役者はだれひとり出ていなかったと記憶する。

カブキは、喜ばせ上手であった。 😆


つづく


 水滴三様

とりあえず 水滴三様。
ネタがないのでまだ焼いてない水滴をだしてみた。
生です。
磁器の土にコバルトで絵付け。染付である。
先日の京都での個展の折に、女性の書家の方が小さな水滴を探しておられたので
作ってみた。
そのときは筒向付の型を使った少し大振りの物はあったのだが
希望に応えられなかった。
こういったものは、作っていて愉しい。
径は4cm前後といったところだろうか。
織部染付とでもしておこうか。

 

 

書  記

仕事柄、筆を使うので絵付けのときだけでなく日々筆に触れていようと、様々なテキスト
のやっかいになった。そのひとつに曾祖父の愛用した妙法蓮華経並開結という
文庫本サイズの本(大正12年刊)があって
それを適当に開いてその頁を筆先を意識して書く
ということをいまでもしている。
漢字にはすべてルビが振ってあるし、旧字体で活字がいい。
内容は書いているうちに分かるかなと思ったが・・・残念なことに・・・である。
書は、須田剋太とか棟方志功・永田耕衣が好きだ。
「禅」を感じるからだ。媚びていない生気がある。
(ゼンが何かはともかく・・・)
上は、「自我偈」の最後のあたり。
下はどこか・・・しら。

 


これは、岡本可亭の三体千字文

 これは、昭和初期の謡曲の本。書きながら能の勉強もできる。
鞍馬天狗、弱法師、巻絹、烏帽子折、井筒など

 

 これは、井上有一の顔真卿の臨書(意臨)