3月の終わり 知人のお店を訪ねて 浅草を歩いた ぱーと2
もう知遇を得てから四半世紀経っているのにその彼女の存在の有り様は 口のなかで飴玉を転がすように現実的で甘美なものとして記憶されている 全く忘れているわけでもないが さりとて何か繋がりがあるわけでもなく7.8年に一度ぐらいに再会する 川を眺めていたら スイーっと魚が視界に入ってくるみたいに・・・ いまは夫君と浅草でアンティックの店を開いているというから訊けば かつて良く行った西洋料理店の裏手にあった 随分と古い家(かつては料理屋だった)を改装して・・・というよりも余分なものを剥いで使っている その店で扱う品々から受ける大正は不思議な雰囲気をもった時代である ファッションや文学 工芸や建築などにおいてもある種の品を保ったうえで成り立つ カオスを孕んでいるかにみえる ・・・・そうだ宮沢賢治の幻燈の世界のようでもあるのだ
最近少し分かり掛けてきたことがあるのだけれど まだ言葉にならない 変わらずにあることを自分のフィルターで発見することなのだが・・・