ぐみ

たわらぐみ。口に入れ軽く潰すと少し渋みがひろがる。甘くもない、酸っぱくもない・・・グミの味。
沢山なるが大概2つも食べてみるだけだ。この赤さとこの姿がなにものにも代えがたい。

 

いど

 

 

 

 

 

陶器の井戸の滑車  水をくみ上げるときの反響音と程良い筋肉の緊張がいい ザーッとみずを空けて・・・  この一連の動きが詩だ。

・・・この滑車は、旧知の料理人いまや信州の名工となった渋谷さんから頂いた。
おそらく尾張藩で焼かれた御深井焼だとおもう。外輪と内輪に幾種かの押印が施されている。
金具も時代を感じさせる。実はこの滑車の前は自作の物を使っていた。
それでも良かったのだが、ロープのかかる溝が少し浅くて外れ易かった。
道具は使い勝手が何よりも大切だ・・・こんな道具ほど善し悪しがハッキリしているから作りたくもなる。
「ただキレイでしょう・・・」とか
「いいでしょう・・・」には全く興味がない。
だからといって、僕の作る物が道具の必要条件を満たしているかというと不安ではある。
「いつも、気にかけて作る・・・」ところに意味があるのだと思う。

    11/8 追記
井戸は、この家を作ったときに掘ったものでそれほど深くはない、4メートル程度。径120センチ 高さ120センチのコンクリートパイプを順次あてがいながら下の2メートルほどは手掘りだった・・・といっても
職人さんがやってくれた。5,6年は使って上水道が出来てからは一時期使わないでいたが10年ほど前になるか、自作の滑車をつくってまた使い始めた。

水温はほぼ10度。春先に一度水をすべて汲み上げてカラにする。 夏には籠を吊るしてスイカやビールを冷やす。
冬は雪の下になってしまうので使わない。


you-Tubeではダンサーの田中泯さんの白州での暮らしが見れる。
井戸を自ら掘っていた。疲労困憊やっと掘りあてて下から上がってくると泣いているのである。
「下でね、ぼくは会っているんですよ。亡くなった友人たちに・・・」
そして踊るのである。

場所が踊らせ、死者が踊らせる。・・・前衛で古典。

井戸的なものもその深さを増すと単純な「穴」であることを超えて不可思議な「場」となるのかもしれない。
いやそうであるに、違いない。