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戸隠神社奥社「親しみへの奥の手」

戸隠神社奥社の早朝
最近 早朝に散歩をしている 一時間ほど近所をぶらぶらしていたのだが 飽きたらなくなり  車で奥社まで行き 参拝散歩と相成った 宗教的なことには興味はあるのだが 不思議と  信仰に目覚めることがないまま現在に至っているのだけれど 鳥居を潜るというのは宗教とは また違った 身体行為に由来する秘義のようなものではないかと感じている ・・・ ともあれ  片道2キロのうす暗い参道を歩いていると リスや鹿 小鳥が出迎えてくれる それにとてもいい 甘いといえばいいのか ・・・なんとも芳しい薫りが漂っているのである 
朝陽が随神門に懸る
途中 飯綱神社・石仏など丁寧に廻りながら 奥社・九頭龍社を参拝したころに丁度東の空が明るさ を増して陽が昇り始める 復路を後から来た人たちと挨拶を交わしながら樹齢400年の杉並木や周囲 の森に降り注ぐ陽光を眺めながら歩いている 
奥社の石仏
最近気付いたのだが この参道の脇には古い修験道の講堂跡や史跡が藪に隠れてあってついついそちらにも  分け入ってみたりしているのだが 最初の頃は身体がそのような空間に同化出来ずに違和感があったものが 次第に 自身の持つ空間感覚が拡張されて解け込めるようになった・・・気がする 「場」とはそのようなものなのだろう  普段あまり意識することはないが 感覚の解像度を増してゆくことも身体感覚の拡張も「親しみへの奥の手」 なのだ
戸隠西岳と鏡池
 

秋は忙しい・・・

 様々な山の果実が採り頃を迎える秋は 気もそぞろにあっちに行きこっちに行き  せわしなく目配りをして歩きまわっている
野葡萄
山の果実酒は疲れを取り 気力を充填してくれる・・・そんなことを実感している   日頃飲む酒屋で売っている酒は 香りや美味さを競っているようだが・・・と  思い至る 無尽蔵にある薬酒のもとを手近なところで調達すれば いいのだ
山の宝石とも呼ばれるが・・・
福島あたりで良く作られていたという野葡萄酒は 家庭の常備薬として重宝していたらしい 打ち身に塗ったり 飲めば肝臓にいいという 友人の地歌舞の宗匠に差し上げたら「すごいのよ~ 眠る前に盃一つ飲むだけで疲れが取れてるの・・・」と 効果の程を保証してくれた
サンシュユ
サンシュユもアキサンゴと呼ばれるほど美しい赤い実を付ける 昨年は異常なほど実を付けたが今年はその反動なのか あるいは夏の暑さのせいなのか さっぱり少ない・・・今年は果実酒を作るほどもない (マタタビでも探しに行くか・・・) 

古染の形に織部の絵付け・他

昨年から取り組んでいる古染付の向付の土型を使って 織部のバリエーションとして展開してみる 侘び茶とか闘茶と一線を画しているのは 無限に展開して行ける意匠の変化がある 意匠が生き物のように蠢き 定着し くっ付き 統合され ・・・省略され 転移と変容を繰り返す そこに織部の真骨頂があるのではないか

陶片? 

陶片(江戸初期辺り)に足を付けて小向にした
確かに 焼物の欠片であるから 陶片に違いはない さりとてそれを物として見た場合には 何ら不都合のない器であることであるか 手のひらの半分に満たない不定形のものではあるが 十分に用を充たす器と想う 物の有つ力とはこのようなものである つまり欠片となってもその美しさの質を失わないもの・・・