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4/8~4/12 しぶや黒田陶苑個展 終了いたしました

一年が経つのが早い気もするが ゆっくり時が過ぎている あるいは止まっているような気がしないでもない

今回の個展では茶碗と陶仏がメインとなります
茶碗もベーシックな靴型の茶碗を集中して作ってみました

世界的な伝染病と世界的な戦争(そう言ってよいかどうかわからないが) ともあれ8日9日10日と上京して店に居ります



 

 

 

 

志野茶碗 昨年後半は集中的に沓茶碗を作っていた
黒織部と志野と黄瀬戸とに振り分けて焼いた

 






 

 

 

 

後記)
何と言ったらいいのだろう…このご時世で人の心ここにあらずなのかな~ こんな思いが湧いたのは初めてのこと    
・・・手ごたえが薄い

自分のモチベーションも何か具体的なものをつかみ損ねているような心もとないものがあるのかもしれない 実際この投稿もなんだか中途半端なままで済ましてしまっている(笑)

 

SNSをやっているとブログの更新を忘れる

コロナ禍に突入してからというわけでもないが
年月のの経過が判然としなくなった・・・
加齢的にそう感じるのかもしれないが 大概他人に聞いても同じようなことを感じているようだ

そもそも「時間」という言葉が余所余所しいし 実態を捉えた言葉とは思えないどんな言葉ならいいのかと考えると適当ではないが「うつろい」というような自然に対応する感覚から生まれたものだろうか 他にも古語の中にある種の響きを伴ったものがあるかもしれない 

 

年が明けてどんど焼きも済み一月も終わろうとしている
コロナ禍で露わになって良かったこともある
それは現在の日本の政治経済の悲惨な状況だと思う
政治は汚濁し 経済は破綻していることが明快になったことだ
大手メディアの情報が真実とはかけ離れ政権寄りの広報となってしまったことでロボトミーとなった大衆というものがいる

大切なのは気付くことで嘆くことではないから それを踏まえてどう対処して行けばいいか考えるのも愉しいことではある

修那羅峠の石神仏

修那羅峠は長野県の青木村と筑北市坂井の境に位置している 幕末から明治にかけて妙高出身の修験者が開いた寺がありそこの山腹に808基といわれる石神仏が据えられている
30年ほど前に一度義父と家族で訪ねたことがあった 低い門のようなところを潜って入り 桜の花が咲いていた記憶が残っているだけで大概のことは忘れてしまっていた

ここ数年神仏の像を作る依頼があって 石仏に関心が向いたこともあり気になっていたので 仕事の合間を縫って訪ねた

その如何にも民衆に慕われた修験者のところらしく石仏が愛らしい

 

 

 

 

この愛らしさはどこから来るのかね 石工の資質とばかりには言えないものが感じられるがそれが何なのか分からない



 

つづく

6/29~7/10越後高田のぎゃらりー祥さんで織部展終了

【口上】
かつての織部焼には時々動物の姿が現れます 栗鼠 梟 百足 兎 猫 蟹 獅子 犬 水鳥 魚 蛙 猿 鮭牛 鶏 海老・・・狛犬
侘び寂びの焼物に「かわいい」が加味されたのかもしれないですね 異素材の工芸や異国の文化をまるで和歌のように引用したり 歪んでいても下手だって、傷だっていいじゃないか・・・という発想もどこか村田珠光の「和漢の境を紛らかす」という姿勢に繋がってみえる・・・

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戸隠の家から一時間半ほどでギャラリーに行ける
その途中には妙高赤倉の温泉地があり、疲れを取りにあるいは気分転換によく出かける お酒も美味しいところだ 魚も美味しい
高田には「世界館」という日本最古に近い映画館があってあまりメジャーじゃないが良い映画をいつも上映している 映画が特別好きというわけではないが今日も(6/16)【天井桟敷のひとびと】を観てきた 高田から少し行くと直江津で日本海に出る 海なし県の長野県人にはホームビーチのようなところで、泳ぎはしないまでも浜の散歩や海を眺めに来た 戸隠の奥社入口の大きな石灯篭は高田の戸隠講からの寄進…歴史的にも非常に結びつきの深い同地なのである