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POND GALLERYさんにて10/30~11/4個展

POND  GALLERY(銀座)さんでは初めての個展です。
1月頃だったか・・・向付だけの個展をやってみないか・・・
ということでした。その後4月に渋谷の黒田陶苑さんでの個展でお目にかかって、5月に家に来られた。黒田さんの個展の直後に、「美の壺」の出演依頼があって「短詩的工芸」とか「向付のバリエーション」について話してくれないか・・・ということだった。
端的に言えば「原理があって、多くのバリエーションを生む」ということだ。「定型」「形」を持つことが、豊かな表現を生み続けることが出来る・・・ということを云いたかっただけだ。
型がなければ駄目だということではない。生まれ持った才能が、易々と表現の領域を超えてゆくことを誰もが目撃している。
僕が、織部から感じ知り得たのは、おそらく文字以前に依拠する変わらぬ表象文化の色濃さだったのだと思う。

織部の向付というのは、道具としての器の領域を超えて、漆器や染織などと同じように焼き物が短詩系文学を纏い始めたのがここからだったというエポック。

POND GALLERYさんでの型打ちに特化した展示は、嬉しい・・・どこまで伝わるか待ちたい

登り窯とガス窯の違いも伝われば・・・と思う。
最終日のみ一般の方が見られます。あとは飲食業の方々のみ入店可です。

美術館の魯山人・出雲大社・お国・松江・和菓子巡り

若い頃に日本中を飛び回っていたこともあって、それ程旅行をしたいとは思わない。それでも山陰は足を踏み入れたことがなかったので楽しい旅行だった。地元の方に聞いた出雲そばの美味しい店に着くと既に行列・・・確かに玄蕎麦の見るからに旨そうな色味・歯ごたえ・そばつゆもいい・おかか、のり、大根おろし、葱と薬味がこの地らしい・・・。 100点。
4万坪の敷地に遠方の山を借景にして広大な庭を形成している足立美術館を訪ねる。お目当ては北大路魯山人の作品400点を所蔵し常時200点が展示されている魯山人館。・・・見ているあいだ中ため息ばかり付いていたね~と言われるほど 大胆さと繊細さが入り混じり、道具の機能と遊び心が同居し、知性と野生が調和した作品は、魯山人ならではの物だと感じた。

金魚葉椿
葉が金魚のような形をしている

 

 

出雲大社 出雲のお国の墓参 稲佐の浜・・・
祈ることは好きだといっても還暦を過ぎたころからだろうか 想い願いを神に伝えるといっても 大概は子供たちのことだけでいっぱいになってしまう 時々信心深かった父母の事を思い出す 子沢山だったから さぞや心配事が絶えなかったことだろうと済まなく思う(多分一番心配をかけた当人であるから)
社殿の一番奥に須佐能之尊を祀った社があり、裏に大きな磐があって男女が両手を押し当てている。 今風に言えばパワースポットになっているらしい。

 

 

 

市内をウロウロしていると、京都の南座のあたりで見たことのある舞姿のお国像があって、そういえば出雲だったなと思い出した。連れがお国の墓なら知ってるよと言うので早速墓参に行く。稲佐の浜に行く途中で脇階段を上ると一抱え程の丸い自然石をポンと据えただけだが何とも風情のある墓石だった。


続く・・・

8/5「美の壺」にちょっとだけ顔を出します

 

 

 

 

美の壺
File 563 桃山の革命 織部焼

【放送日】
◆NHK BSプレミアム・BS4K

本放送 :2022年8月5日(金)午後7:30〜7:59[BSプレミアム・BS4K]

再放送 :2022年8月13日(土)午前6:45〜7:14[BSプレミアム・BS4K]
再々放送:2022年8月18日(木)午後11:00〜11:29[BS4K]
再々放送:2022年8月19日(金)午後0:30〜0:59[BSプレミアム]

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日本国内で土型を使った器作りがいつから始まったのか、まだ調べてはいない。織部焼の向付の特徴ともいえるその技法を使った平向付にはおそらく300種ほど(僕が採集した形は230種類弱でいまだに新しい形に出会うことがある)の意匠が展開されているのではないかと考えている。
今回は、平向付について取材された。560個の大小の土型の内250点余が平向付で、他に小向付、水指、型打ちの皿 、筒向付、花入れなどがある。型を使うことが今では量産のための手法と思われるがそれは、形のバリエーションを生むための手段であることを理解して欲しい。
また、「形」は言葉を介さない意味伝達の手段であり、伝統的イメージの宝庫でもあることに重要な意味がある。

焼物を始めた頃に、不思議に思ったのが織部の向付の種類の豊富さだった。その答えを導くカギとなったのが粟津潔さん(造形思考ノート)が家紋について書き下ろした文章の中の「原理があって、多くのバリエーションを生む」という文章だった。翻って考えてみれば、織部の変化に富んだ意匠を繰り出したのは、他ならぬ京都の意匠家たちであれば合点がゆくというものだ。とはいってもその原理(家紋を描く方法)とやらに則て実際に土型を作り始めたのは、気付いてから10年程経っていたかもしれない。
「原理」思いついたデザインをその原理(製図法)の篩にかけることで、無限の形に統一感を生む。
これは、沓茶碗にも当てはまるのではないかと考えている。
更には和歌の定型詩としての在り方にも通底していると思う。

利休が長次郎を指導しながら作った茶碗は、茶室を構築する神経と同じような計算(人間工学的な)しつくした美しさを求めたのではないかと考える。ことに沓茶碗は、この内的必然性を抜きに成立しない、踊りの振り付けのようなものを僕は感じている。
次に大切なのは、「型」と「即興」の妙とでも云えるところだ・・・。この二つが未分の所にポジションを置くことが出来ればいいなとおもっている。 

・・・などと理屈を捏ねても 器の良さを決めるのはそんなところには無いのかもしれない。計算し尽くした気まぐれな何かと・・・思って間違いない。

織部について (緑色考)

どうも 高血圧真っ只中のようで今日は、気ままに過ごすことにした。

織部については、固定ページに色々書き連ねているけれど、内容の更新はしていないので、訂正しなければならないところもあるかもしれない。
それはまた後日の作業として・・・。

緑の色一つとっても、「緑」は不思議な色相だ。「もののけ姫」の中で宮崎駿さんは、6000種の緑色を使い分けたと最近知った(聞いた)本当だろうか。6000色?という色相とは…と訝しく思わないでもないが、緑とはそういうものだとも考えられる。日本の四季を通して緑とは補色の赤まで、変幻する色彩なのだと思う。緑とは単に一つの色ではなく四季の移ろう姿(色)の総称のようなものなのではないのだろうか。
登り窯を焚き始めた当初から、窯の中で焼かれた織部釉には、四季折々の色合い(発色)があると考えていた。だから「綺麗なミドリがいいな」とか言われると 「綺麗って何?」と問い返していた。分かりやすいからといって「ザ、緑」みたいなものだけ追いかけて多様なものを捨て去ってゆくようなことは、出来なかった。織部焼の多様性は、形や文様だけではなく、色の変化にもいえることなのだと思っている。
五行思想を背景に、焼物(器)に青(緑)・黄・赤・黒・白 ・・・五色が揃った(揃えようとした)のが 桃山時代のの美濃陶ではないだろうか。

【五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は七曜の命令)の5種類の元素からなるという説である。また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。】ネットから

         続く