黒い器・・・茶碗の器肌を観る。黒の中には無数の原色が散りばめられて、煌いている。
生きた黒とはそういうものだ・・・と思った。死んだ黒にはその煌きがない。この黒の釉薬には戸隠の林道の側壁に露出した紫の石粉が入っている。それと黒姫山のベンガラ、松灰・・・etc 素材を替えた釉薬を3種作り、使うたびに少しづつ入れ合わせているから
いまはどんな釉薬の構成になっているのか、厳密には分からない・・。
焼き物に“粉吹”とか“粉引”と呼ぶ、技法がある。 鉄分の多い土で成形した後にカオリン(白い土)などで薄っすらと化粧掛けして焼成したものだが、李朝でもその素朴な風合いが好まれたのか随分と作られた。
11月の中旬に吊るして一か月ほど干しておいた柿を藁を敷いた紙箱にいれて3週間ほど寝かせておいた干し柿を、取り出してみた。
“粉を吹く“というが、見事に白い粉を付けて美しく並んでいた。身も締まって丁度食べ頃になっていた。日本人の甘味の基準は、この干し柿の甘さではないか・・・と思うぐらいに自然な甘さで見て味わって感激した。
以前に作った粉吹きの俎板皿に乗っけてみたら、その白の表情があまりに似ているのにまた驚いた。
1/2 例年のように戸隠神社奥社に初詣でにいってきた。
上の写真は参道の杉並木・・・雪かきをしているわけではないので踏み固められた幅の細い道を譲り合いながらすれ違う・・・「こんにちは、あけましておめでとう・・・」と声を掛け合う・・・
今年が良い年でありますように <m(__)m>
=型= 型とは何か・・・と考えるまでもない、ヒトの暮らしの日常を見渡せば有形無形の事々に、例えば道具の使い良さを求めるための型があり、また人間関係を円滑にするためのルールや言葉遣いの型がある。型を知りまた型を身に付けて、物を作り日常を送ることで得るものは多い。それを師匠や親からの言葉や仕草から覚えることもあるだろうし、それとは知らず日々の暮らしの中から身に付くこともあるだろう。生まれてから死すまで“型”によって生かされていると言ったら、言い過ぎだろうか。
松尾芭蕉はこんなことを言い残している・・・
「祖翁口訣」より
=翁曰く、格に入りて格を出でざる時はせばく、格に入らざる時は邪路にはしる。格に入り、格を出て、初めて自在を得べし。=
★自在⇔輕み⇔わび
「輕み」とは「まこと」が時・所・人に応じて現われるさいの自在さに謂いである・・・ 倉沢行洋著 「対極 桃山の美」より
そんな型の側から、織部をみるのがぼくは好きなのである。
織部焼を自由奔放・豪放磊落・ヒョウゲモノと形容するだけでは片手落ちだと考えているからである。