
昨年 熊野の修験者を訪ねた折に、別れ際に近くの樹に張り付いていたセッコクを採って、持っていって育ててみればいい・・・と手渡してくれた。熊野と戸隠では気候が違いすぎるから、上手く育てられるか自信はなかったがこの頃になり花を咲かせた。長生蘭とも呼ばれ薬効もあるようだ。蘭科だからか幾日も花を付けている・・・原始的?な花のせいか他からは感じられない、野生のものだけが持つ生命力の力強さがある。新しい芽も幾か所からも出始めたから、もう大丈夫だろう。
一昨年森温理展を開催して頂いた、さくら市ミュージアム荒井寛方記念館を再訪した。
この10月に長野の北野カルチュラルホールで 「絵のなかに生きた・森温理」展を開催するにあたり 大田原市に温理の絵を預かって戴いていた御実家に絵を引き取りに訪ねた帰りだった。
リニューアルされた館内では 地元出身の日本画家荒井寛方の展覧会が、全館を使われて開催されていた。正直なところあまり日本画のことは詳しく知らないのだが、確かな技に裏打ちされたものが作者の求める絵画世界を描ききっている。やはり「・・・凄い‼」 。選ばれた人だけが成しうる仕事ということか。 それらの絵はさくら市の宝として収集され研究されて大切に残されて行くのだろう。
荒井寛方の絵に惹かれるものを一つ上げろと言われるなら 少し不協和音のようなものが表情に加味されているところだ。美は必ずしも調和によって表現されるだけのものではないことを教えてくれる。その少し歪みを湛えた表情を生み出したものに、寛方の魅力を感じるのである。
展示空間が温理展でも感じたのだが心配りのようなものだろうか、とても心地よく見れてよかった。
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これからまた少し 森温理の絵のことも考えていかねばならない。ミュージアムの学芸員によって整然と整理された温理の絵をどう残してゆくか・・・