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アトリエヒロ(大阪)個展1/11~17 終了いたしました。

1/11~14在廊します。

大阪での個展です。
初めて展示させて頂くギャラリーですので、新作だけではなく旧作も合わせての様々な織部の展示になります。会場が広く明るいところですので、渋い登り窯の織部がどんなふうに映るでしょうか。楽しみです。 
茶碗・水指・花器・茶入・香炉・香合・硯・掛花入れ・大壺・花壺・水滴・徳利・酒盃・片口・平向付・小向付・古染付写し・散蓮華 食器などの数物も数えますと250点程度の展示となります。

まだ、正月気分も引き摺っている頃ではありますが、お立ち寄りいただければ幸いです。



織部は 豪快でも即興的でもも況してや「へいげもの」でもないようなところがある
調和した意匠がときには入り子状に重なり合い 形と文様が侵犯しあい 異文化と異素材が やつしともどきが 交叉するハイブリットな道具という
ざっくりとしたイメージのなかで作っている


織部黒筒茶碗

誕生佛鈕香炉

青織部平向付

織部窯変花器

※ギャラリーヒロ様での個展 終了いたしました。
 お越しいただいた皆様、誠にありがとうございました。

気が付けば 年の暮れ

忙しくて・・・と言いながら何が忙しかったのかと
少し脳圧をかけて考えねば、答えが出てこぬ始末。
身長も15ミリほど低くなったし、血圧も高くなってきた。
全体に老化現象が顕在化している  ・・・けど そんなに悪い感じはしていない。やはり、いま起きていることに対してどう対応すればいいのか・・・を考えるのを面白がっている。厄介度指数が高いほど面白いというものだ。

様々な問題が現れては消えて、それが常態化すると不安や問題を家畜のように飼っているような感覚になってきた。不安が卵を産んだり、問題から乳を絞り出すようなものだ。
この感覚は、若いころにはなかった。一つ一つ解決する快感はあったかもしれないが、放っておいて、勝手に解決(生育)するのを蟻の行列を見るように眺めている心境。年を取るというのは、満更悪くない。これからは、須らくこの手で行こう。

矛盾の木の実。矛盾の放牧。


7/17~27 上越市ギャラリー祥 個展

終了しました

練り込み手織部三角水指 

訳あって 投稿が遅れた 無事終了いたしました

上越では4回目 日中35度前後と暑い高田市・・・

ただ人は 慣れるということがあるから 暑さを簡単に考えていた ・・・「高田は不快指数が 全国でも高いほうなのよ~・・・」と言われてから 人通りの少ない雁木通りに出てみた

この街はいいと思う 街が醸し出す情緒が無意識のなかに しっかりと残っている 人の身の丈を知っているとでもいうのか・・・

ここでの個展も4回目になって 今回は織部の絵付け・絵柄についてのレクチャーをやった 定員8人~10人で3回 最後に実際に手塩皿に絵を描いてもらった それを実際にやってみることで得られるものはなんだろう それは体験から得られるイメージを介在者にして人と物との距離を短くすることなのではないだろうか? 言い訳ばかりの人の脳を身体の領域に引き戻すことだ
行き過ぎたこの時代の極端な2元論的思考を 陰陽未分のところに引き戻すことだ・・・ てなことを考えていた




アニミズムについて

アニミズムの概念については、少し補足が必要かもしれない。
ネットで調べればある程度のことは、調べも付くけれど、また一般論で語られると、的を得ないところも多いのではないだろうか。
先般、炎芸術紙上で香雪美術館の梶山さんに僕の仕事の紹介記事を丁寧に書いて頂いたのですが、一点だけ訂正をしてほしいところがあった。それが、アニミズム(精霊信仰)というところだった。
一般的にはそれでもいいのかもしれないけれど、僕の感じているアニミズムとは、だいぶん違う・・・が、他に適当な言葉がないので便宜上そう使っているという、なんともな現実がある。
最近SNS上でこんな文章を拾った。

アニミズムとは、人間にのみ閉じていないで世界の外に人間を拡張する思想。ただそれは、人間の知性を単に拡張した動物のみの保護を唱えるような思想なのではなく、一切は衆生であり悉有が仏性だと説く禅思想に近い。
(内藤寛さんアニミズム談義)

タイラーが「アニミズム」を論じた本は”Primitive Culture”、日本では『原始文化』と訳される。しかし、岩田慶治や今西錦司が考えていたのは”primitive”(原始的)な何かではなく、”primordial”(始原的)なものだ。原始的なものは進化する。しかし、始原的なものは、普遍的な何ものかである。
(若松英輔)
どちらも精霊信仰といった旧来のアニミズム觀とは大変な隔たりがある。

そもそもアニミズムという言葉に出会ったのは、結構遅くて1990年あたりだったか、比較人類学者の岩田慶治さんに出会ってからだ。たまたま購読していた国立民族博物館の月刊誌に岩田さんのインタビュー記事があって、彼の描く世界像が探し求めていた土方巽の描いた舞踏的なる世界にピタリと重なったからであった。・・・・・こう書いたからといって生前二人とも、その世界を明快に言語化されたわけではない。ある種明快にすることを回避していたようにもまた見受けられる。
土方さんは、アニミズムという言葉すら記憶する中では、一度も使っていない。
岩田さんは、草木虫魚教とも森羅万象教とも云えるような世界だがそこを言い尽くす言葉に出会っていないともいう。

・・・・・・・・・・・
土方巽は、舞踏譜で踊りを作り上げるそのモチーフに、森羅万象対象にし用いた。それに、人の五感とそこを取り囲む空間とそのテクスチャーを織り込んで舞踏譜を作り上げた。日常の出来事を解像度を上げて見て、感じて顕れるものを克明に描写したところに、土方舞踏の根幹がある。

続く