「器記」カテゴリーアーカイブ

土の仕入れに

土岐市に行ってきた。この時期に行くなんて段取りが悪い・・・。原土を干さなければい
けないのに・・。今年はすべからくこの調子であるからいいのだが・・・おまけがあった。
借りたレンタカーの2トン車の左前輪が、早朝暗闇のなか走行中にバースト「破裂」
したのである。・・・ありえん…。
写真はほぼ竹藪化した大平の古窯址。ここには必ず寄る。このなかは時間が止まって
いるようで、落ち着くのだ。そして、しばらく在りし日を偲ぶことでなにかがリセッ
トされる。お守りの陶片を拾う。ぼくのパワースポットなのである。
大概とんぼがえりの買い出しなので慌ただしく帰路につく・・・朝4時に出て帰れば夜10
時を過ぎる。

 

結局、備え付けの工具だけではボルトがきつくて外せなっかった。ロードサービスを頼
んだ・・・「タイヤ古いっすね・・・こりゃあ」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

幸い天気が良くて、ギリギリ粘土の天日乾燥が出来た。
干しながら大きな塊を手でひねってバラシたり石を取ったりする作業は
妙に充足感を感じさせる。
大工さんがカンナで削った木の肌をてのひらで撫ぜるのに近い・・・
掌に感覚器官のすべてを集中させている感じ

                            ★

 





ぶ ん ぐ

 

陶硯・筆管・筆架・筆筒・筆洗・水滴・墨床・硯屏・陶印・筆箱・・・
焼物でつくられる文具という面白い世界がある。
織部のような遊び心をフルスロットルにして作る焼き物には最適なジャンルだったのだろう
陶硯や水滴・硯屏などが伝世している。
京都考古資料館には丁寧に作られた織部の陶印が展示されていた。
掛け軸の軸先なんて作ってみたい物だ。
明治以降工芸は二次(応用)芸術と呼ばれた。絵画・彫刻が日常性から乖離していくなかで
身近な道具として変わらず日本の知恵と遊び心を伝えていたのが
文具なのかもしれない。

 

                                        これは、京都考古資料館の陶印  ちょっとムラッと・・・作りたくなる。

 

の べ お く り

この頃はあまり見ることのない葬送儀礼があった。【諸行無常是生滅法」「生滅々己寂
滅為楽」とそれぞれ書かれた幟が風にはためくさまは、故人の「想い」がその風土に融
け行く場にも見える。けっして豊かではなかったであろう山里のなかに生まれ、また土
に還る。(からだ)という器は、文字どうり燃え尽きはしたが、草葉の陰であるいは空か
らでも子孫を見守る祖霊となる。こんなに風に送られれば本望だろう。宗派・思想はどう
であれ、想いが想いを弔うのである。

手 塩 皿

ぼくの仕事の半分は、平向付以下の小さなうつわだ。小向付を作り始めたころからその傾向が強くなっ
た。多くの型と絵柄を展開でき、また焼きの変化を得ることが出来るからだった。また、それを楽しん
で呉れるお客様の声も後押しをしてくれた。一昨年から、この手塩皿のシリーズが始まる。古い物の写
しの仕事がきっかけだった。新しい長石との出会いも変化を倍増させた。絵付けは、一皿一皿違うもの
を描くことで唯一の器になる。
                                                                  

絵付けが愉しくなったのは、良い筆を使うようになってから・・・。高崎の筆屋さんの物だ。それまでも
いろいろ試してはみていたが、想うような線が描けなっかった。なにしろその筆が手に入ったときには
うれしくて渦巻きばかりを描いていた。くるくるくるっと筆が勝手に描いてくれる。そのころはすでに
朝1時間の乱暴な写経で「日々の筆慣れ」は出来ていたので、次は絵柄のバリエーションを徹底的に頭
に叩き込むことに専念した・・・そんなことを4・5年はしただろうか。
今の筆も満足しているわけではない。もう少し腰の強い、それでいて穂先の柔らかいものが欲しい。
10/18追記