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「古染写し」という織部を始めてみた

古染付写し赤織部向付

古染写しのナマズの向付を昨年の暮れに旧知のギャラリーに一点あるのを発見して譲ってもらった。作り手を知っていたこともあり、また年末年始何かと重宝しそうな予感も働いた。
織部の向付といえば、縁が切立ちで幾何学的な意匠のものが多いが古染では鳥・馬・魚・・・などの具象的な意匠がほとんどだ。いままでそれほど関心がなかったが、いざ手元において使ってみると、矢庭にむらむらと作ってみたくなった。・・・・・・・・・・面白い。

病みつきになりそう・・・笑

今回は練り込みの赤織部・・・とりあえず暫らくはこれで。
まだ、幾らでもバリエーションの展開が出来る。


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黄瀬戸織部

 

 

 

 

 

 

一昨年あたりからだったか・・・?黄瀬戸織部というものを焼き始めた。
黄瀬戸というには、少しいろいろ技巧を加えて、尚且つタンパンも盛大に使うので織部とした。
幾種類かの土を積み上げて寄木のようにしたものが、かつてあまり類例はないが桃山の唐津にあって、その複雑な表情をどうしたら作れるかと何度も試したが上手くいかなかった。10年以上まえのことだ。

2年前か京都の骨董商を訪ねた折に見せて頂いた志野茶碗にシンプルな練り込み?のものがあってどうやったものか写してみた。そのバリエーションを展開していくうちに、難題だったその唐津の茶碗が出来てしまった。
出来てしまえば、全てはコロンブスの卵だが・・・。まだまだ、何か展開できる可能性を秘めているようだ.

 

この茶碗は、楽焼の作りで仕上げた。 薄作りで350グラム程度だろうか。かつては、ゴツイ織部の茶碗が好きだったから それほど重さには拘らなかったけれど、長次郎の作った茶碗の作りとその削ぎ切った造形に興味がある。この茶碗もあと5度も温度が低ければものにならなかっただろう・・・。 「作り 上がり 景色」 が整った茶碗は、やはり中々出来ない。
こんな良い茶碗が 残って手元にある。
どうしてだろう・・・?????  



 

黄瀬戸織部茶碗

手塩皿 ・・・おてしょ とも言っていたなぁ~

絵織部 手塩皿 大小40点
絵織部 手塩皿 大小40点

200

 

 

 

径で12㎝~9㎝ほどだろうか  ぼくが小さい頃50年ぐらい前にはオテショと呼んでいた 祖母や母の口から 発せられった器の名前で耳に残っているのは・・・オチャワンの他には これぐらいではないか 

そのころはまだ 冠婚葬祭は家で行っていたから 大小の器が蔵には様々にあった 大概が染付 (・・・大鉢・甕は地元の松代焼だった) その頃でもあまりに地味な存在であったから意識することもなかったが  旧知の美濃焼愛好家の方からの依頼で江戸初期の絵織部の手塩皿の写しを作ってみたのが初めで もう5年以上になるか定番で絵変りの手塩皿を作っている 

時代物の写しだから少し滋味とでもいうものが欲しくて それまで使っていた釉薬ではなく 天然の長石を使ったのが効を奏して窯の置き場所に因って頗る色合いを変える 皿となった  

何といわず使い回しのできる収納の心配もいらぬ 将に重宝この上ない器である

仕事初めの 絵付けのアプチュードにもこれは必須なのである
 

 

粉吹き

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焼き物に“粉吹”とか“粉引”と呼ぶ、技法がある。 鉄分の多い土で成形した後にカオリン(白い土)などで薄っすらと化粧掛けして焼成したものだが、李朝でもその素朴な風合いが好まれたのか随分と作られた。

 

11月の中旬に吊るして一か月ほど干しておいた柿を藁を敷いた紙箱にいれて3週間ほど寝かせておいた干し柿を、取り出してみた。

 

“粉を吹く“というが、見事に白い粉を付けて美しく並んでいた。身も締まって丁度食べ頃になっていた。日本人の甘味の基準は、この干し柿の甘さではないか・・・と思うぐらいに自然な甘さで見て味わって感激した。

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以前に作った粉吹きの俎板皿に乗っけてみたら、その白の表情があまりに似ているのにまた驚いた。