「おしらせ」カテゴリーアーカイブ

何点かの作品解説をいたしましょう

先日永平寺のお堂の写真をぼんやり見ていたら
ご本尊をお守りする木彫の狛犬が据えられていることに気付いた
石作りの狛犬は実は比較的新しく江戸時代あたりからのようだ
平安あたりから格式高い金属・木彫それから鎌倉時代あたりから一般庶民の向けに陶器の物も作られていたようだ

暮らしているところが歴史のある神社が立ち並ぶ戸隠であるから
狛犬とは親しい 宝光社の狛犬は時々このブログにも登場願っている 神社の参拝前にひとしきり狛犬の周りをしげしげと観てゆくのが常の事…多分そんなことをみんなしているのではないだろうか その理由はその何とも言えぬ愛くるしさなのか

事程左様に日本全国津々浦々に数多存在する狛犬は悉く姿形が違ってまた趣向を凝らしている この一つたりとも同じものが無いというあたりは織部焼に代表される焼物にも言えることでそれは何故なのかと・・・ずっと思っていたものだが戦後になったあたりから狛犬の定型化が始まる
 まあとりあえず焼き物の解説と参りましょう
何時か狛犬を作ってみようとずっと思っていたところで 機が熟したのか 今回高さ12㎝ぐらいの小品から作り始めてみた 次に15.6㎝
20数センチと・・

室内に置くのであれば燭台にしてもいいのかもと制作途中から燭台にと姿を変えた

 

 

土地柄野辺に佇む石仏を目にすることが多い
皆優し気で愛くるしい 
死者を弔う目的とばかりとは言い難い 生者を見守る眼差しが見るものに向けられてもいるかのようだ
如意輪観音さまは女性の墓石に浮彫されている 頬杖を突いた姿は物憂く何を想っているのだろうか・・・とか問いかけてみたくなる

道祖神も道辻を見守っているが、お地蔵様も見かけることが多い
小さな子供の霊を鎮めているのだろうけれど・・・

 

日常の中に死者との交流の通路があることはいいことだと思う


 

 


齢も60半ばを越えてくると恩人・肉親・友人を幾人も見送ってきたけれど 死者はそれ程遠くに行ってしまったという感じはない
返ってより身近な存在となったと感じることがある

20代半ばに読んだ「ユング自伝」の 「思い出されることに拠ってのみ死者は報われる」報われる→喜びを得る という下りに成程と納得した 

古染付写し牛頭盃
これは古染付から・・・
あの江戸初期の日本からの発注に見事に答えた景徳鎮の陶工たちに脱帽する 作り手の意識は物にすぐに反映するから 伸びやかな解釈と物怖じのない造形は桃山の作り手を凌駕しているのかもしれない
元ネタはトルコあたり 紀元前4,5世紀のリュトン(角盃)にある 羊あるいは山羊の角を用いたカップの形を金属で模して羊の頭部を付けたものがある

昨年 牛頭天王を作っていたので牛の頭部を何かに使えないかと思っていたところ 古染付にこのリュトンがあった

ここ数年小振りの茶碗を作ることが多い
ほぼ毎日お茶を点てて楽しんでいるので次第に使う器の好みも選別されて 大ぶりな物よりも径10.5㎝前後でしっかりと焼けているもので程よい重さ320g前後の器を使うことが多くなった
手び練りで作ったものがやはり面白味と工夫のし甲斐もある

これは小振りの黄瀬戸茶碗
普通の茶筅でもお茶が点たないわけではないが小服茶碗用の小さな茶筅を使うことが多い

何度でもお茶を点てたくなる そのたびに茶碗を手の中で弄ぶ楽しみがある 粋という言葉があるけれど このさりげないサイズが「粋」に近いような気がしている

 

 

 

 

長さ40㎝ぐらいの掛花入れ
細い横筋を緩急をつけて弥七田織部にした 何かと注文を付けるのが好きな家人も活け易さと見栄えからか これは使えるよ・・・と太鼓判を押す
花器は他にもいろいろあるのだが 好みとはよく言ったものである 本当の理由は僕にも分からない 
写真は撮ってないが 切支丹灯篭の竿のところに彫られているキリスト像と文字文様を彫り込んだ緑釉で同じ手の物もある

どちらも
織部黒筒茶碗
引出黒で2度目の焼成の物 登り窯で焼くこともあって一度で上手くいい感じに焼きあがるわけではない だから時には二度三度と焼き重ねて イイカンジになったものを個展に出すことも多い
窯から引き出すタイミングや表情の面白さなど一碗に込められた想いは摩訶不思議なものがある

また 一度でよく焼き上がっているだけでは物足らないことも少なくない 釉薬は二度三度と焼き重ねらることで落ち着くことが多い 釉薬の成分が結晶化し易いという事がその要因らしい 今回のこの二点も釉薬が程よく艶消しのところもあり、馴染んだ・・・ように思う 

志野鉢
銅鑼鉢?胴紐を付けてあって木桶を模したものだから
志野平桶ぐらいの言い方がいいのだろうか
登り窯の焼成室で、薪の炎を常に被っている場所で温度が1300度前後に置いた 志野は長時間焼成で還元というのが決まり文句になっているが確かに国宝の「卯の花垣」などの穴窯(大窯)で焼かれたものはそうであるが 登り窯が稼働するようになってからも志野は焼かれており短時間酸化の志野も評価?は低いかもしれないが存在する 
どうも目くじらたてて 良い所どりばかりに走るのは好きではないし オリジナル信仰も好きではない 様々な焼き上がりの物があっていいし それを愉しむのが歌心というものだろう
これは径30㎝ほど

 

織部窯変瓶子
この瓶子の形は漆器の瓶子と同じ? どちらが先なのか判断が浅学にして分からない 下部が細いところなどは木工の轆轤の造形の気配がする・・・肩から下を天地反対で轆轤挽き 翌日天地を変えて上部を挽く

これも2度目の焼成 一度目は肩のあたりの温度が足らずに黒色化していた 
腰から下が灰を被って白濁化し青みを帯びて美しい

・・・つづく

4/9~4/13 しぶや黒田陶苑さんで織部展

久しぶりの投稿となります 今年初めてでしょうか
しぶや黒田陶苑さんで28回?目ぐらいの個展になります

昨年からのコロナ禍での暮らしは如何でしょうか
なかなか大変な時代ですが、ただこのような変容の時代であるからこそ変えてはいけない、伝え残さなくてはならないものがあると考えています 事に織部の様な伝統的な工芸には 古典を正しく学ぶことでしか理解できない(身に付かない)多くのことがあります。

幸い昨年は、個展のほかに様々なご注文を頂き改めて伝統に忠実であることの必要性を感じました。何をもって伝統と云うかは夫々の考えがあるかと思いますが、制作を通してのみ書物のなかから得られる情報・知識では捉えられない知恵を身に付けることが出来ます。僕が「道具」と限定して物作りをしている理由はそこにあります。

 

 

 

 

 


前置きが長くなりましたが、4/9~4/13 しぶや黒田陶苑でいつもの個展があります。十分対策をなさりながらご来店いただければ幸いです。

 

 

京都・正観堂さんで個展 11/20~11/29

もう9回になる 

18年もお付き合い頂いている

いまだにお会いしに京都に伺った時のことを覚えている

日中38度を超える暑い夏の日だった 高校生だった娘と京都駅から鴨川を歩きながら4条辺りまで遡上しようとしたが暑くて人家の陰に隠れながら
うねうねと歩き 「どこを見ても京都・・・」などと呟きながら 八坂神社にたどり着く 待ち合わせ時間には早いので 更に遡上・・・南禅寺近くのシックな店で湯豆腐を食す 

正観堂のご主人はもともと骨董街のご近所の生まれで画廊で修行されてからギャラリーを持たれた。祇園村は持ちつ持たれつといったところがあるようで、世話好きで仲がいいように見える。
それもご主人の人柄に負うところが多いのだろう。「お役に立つならいいですよ~・・・」と娘の菓子の修行を二つ返事で引き受けてくれたりもした老舗のおみせもあった。





今回はコロナ禍ということで上洛を見合わせました。

 

お近くにお出になられることがありましたら是非お立ち寄りください。

 

 

しぶや黒田陶苑 個展6/8~6/13 (少し長めに解説)終了いたしました。

コロナ禍のなか会場まで足をお運びいただいた皆様
誠にありがとうございました。

オンラインショップといういままでやられてこなかった方法での
営業も功を奏したようでご連絡を頂いた皆様にも厚く御礼申し上げます。

DM

 

 

 

 

 

 

 



黒田さんでの毎年の個展も27,8回となる。
今回は初めて上京致しません。コロナ禍のなかで
少し変則的な対応となっているからです。
お店のHPで全作品の多視点からの画像で作品をご覧いただけます。
DMの右の作品は、鵂燭台です。織部の燭台は、もともとは夜咄の茶会で使われて南蛮人燭台が有名です。人型の燭台は随分作ったのですが一昨年あたりから動物の燭台を作っています。
獺(カワウソ)→ 猫→ 鵂となって 次は何になるのか 思案中。

DM左は、平向付 土型を用いた型打ちの器です。
型の意匠は、いま253種類あって まだまだ増やしていこうと思っています。水指・花入れ・茶碗・平向付・筒向付・手塩皿・盃・など、土型そのものは大小500点はあります。

型打ち水指

30年ぐらい前に作った土型に昨年手を加えて・・・。

再登場

 

 

 

鵂燭台 新バージョンといっても 眉毛?と耳?をちょと変えただけだが・・・ 足元の小抽斗(蝋燭の燃え滓)と入れる)の摘みは小鵂 
エジプトの鵂のミイラの副葬品のケースがモデルだけれど・・・

ミミズク
誕生佛鈕香炉

 

 

 

 

 

 

 

 

誕生佛をどんなきっかけで鈕(ちゅう、ボタンの意)に使い始めたのかな~ 香合に最初に乗っけたのだったか お釈迦様の誰だって一度は見た記憶があるお決まり姿だ 巧拙はあまり意味をなさない 姿そのもののシンボリックな意味こそが大切なので これをみて上手いですね~とかはあまり言わない 


・・・・・・織部焼が桃山時代に現れて、それまでの日本の焼物の姿を一変させたのは言うまでもありませんが、なぜそんなことになったのかについては、余り研究されてこなかったのではないかと思います。
信長亡き後、秀吉が利休との諍いのあと失脚させ、利休の高弟だった古田織部に武家の為の茶道を作り上げるように命じたというのが一般的な理解だと思うけれど、歴史というものはそれ程直線的ではなく、様々な逡巡や飛躍の中から醸し出されてくるものだとすると、織部焼一つとっても様々な要素が有機的に関わりながら生まれてきたと考えるのが妥当だと思う。
政治情勢 社会情勢 経済情勢と その動的均衡。
公家から武士へそして町衆 とその均衡
無釉陶から鉄釉灰釉 中国・韓国・ベトナム・中近東などからの輸入陶器 とその均衡。
多様性を生み出す装置のような型のシステムが大和歌のなかにある。正に「万葉集」という言葉が語り尽くしている芸能の姿だと思う。
織部焼の多様性とは、万葉集の歌世界が、焼き物として顕在化したものと考えると解りやすい。

鳴海織部鯛車香合

鯛車は幾年か前に新潟の村上市で見かけた。ユーモラスで可愛くて何か織部に使えないかと考えていた。何か目出度いものを作ってくれという依頼があって、香合を作った。
登り窯は、窯のなかの置き場所で随分焼き上がりが違う。だから多少絵柄を変えて同じものを3,4点は作る。鳴海織部は、ことに歩留まりが悪い。窯の中でも1割程度の場所にしかおけない。

赤織部瓶子

瓶子には花が良く映る 一輪二輪をちょっと挿すだけで何もしなくていい それだけの理由で瓶子を作った 赤織部といっても「赤」REDではないRED この赤は、赤松の樹肌の赤・・・。
日本の色名は、自然と対応している。単一の色調ではなく、常に無限の自然の変化に心を寄せていることが、世界を理解する一助となる。

黒織部沓茶碗

黒ではないが、黒織部なのだ。鉄釉を1200度ぐらいのときに窯から引き出すと漆黒の釉調を得られる。全て引き出したと思っていた窯のなかにまだ一つ残っていたと気づいたのは、1時間程経ってから、外気が入りやすい場所でもあったからだろう、釉は
引出しても茶色であった。桃山の物にも同じような上がりの黒織部茶碗がある。窯を止めた後、1時間ぐらいしたら窯を開けて取り出したらどうだろうと考えていた。

※僕の作るもの全般に言えることだけれど、傷・汚れ・歪み・割れ・引っ付き・引っ掻き・溶けすぎ・溶けたらずを案外容認している。登り窯で焼くということは、そういうものを受け入れることだ。100個焼いて100個同じ焼き上がりの物を求めてわけではない。人との付き合いもそうである。少し弱って、傷ついているような人のほうが面白く思っている。幽霊の足はなぜないの・・・いや~哀しくて歩き疲れて、足が擦り切れてしまったんだよ・・・というようなことが好きなんだ。

黄瀬戸織部茶碗(小振り)

手び練りの小振りの茶碗 毎日お茶を点てて頂いていると 自然に手の伸びる茶碗というのがある 人に見せるためでもなく 使って心地よい物を体が知っているのだ 手の中にすっぽりと納まり器の重心が少し下で丹田に坐りがよく 口元は茶がスっと切れて粋で 少し景色も楽しめる 育ててみたくなるような・・・
つもりで作った。

鵂香合

このような香合は桃山時代の物にもある。どこの美術館の所蔵だったか。
幾つか作って、これが一番窯変が美しいと・・・僕は思っている。緑の濃いものは、既に手元にはないけれど、この「ウツクシサ」を共有できる人に持っていただきたい。焼成温度は、1300度近くで、良く焼き切れている。この[焼き切れている]というところが大切で、飽きが来ないものの要件の一つだ。俗を切り捨て聖性を纏うというような、気配がある。

弥七田織部獅子香合

弥七田織部ってどういうものですか、とよく聞かれる。可児市大萱に荒川豊蔵さんの牟田洞窯があって、その沢向いの山腹に江戸初期に作られた連房式登り窯址があって、弥七田窯といいます。そこで焼かれた織部の一様式。透明釉の上に緑釉を垂らしたスタイルをそう呼びます。ほぼ同時期に京焼が始まっていて、仁清なども作陶に来たと云われていて、土はきめ細かくよく焼き締まり薄造り、絵文様も余白が多くなっていったように感じている。南蛮渡来のガラス器を模写した器もこの時期のものかもしれない。このスタイルは、そこだけでなく、制作時期の重なる他の近在の窯でも作られている。

織部とは何かといえば、可能性の追求だといえる。
いまだに骨董店などで、「それもありですか・・・。」というような古い織部に出会うこともある。思いつくことを躊躇いなくやってみる。破綻を恐れないことだし、上手く収めようとしないことだ。描線一本にも命は宿るし、土の表情にもそれはある。炎にも熱にも質がある。それを目が食べ、皮膚が飲み、耳が触るのだ。質の解像度に対して鋭敏であることだ。

窯変織部六角脚付花器

花器部分
緑釉の部分に青味がかった白濁が発色することがある。
いろいろなケースがある。釉薬に使う灰の成分(珪酸分)からくることもあるし、施釉時の釉(灰の成分にもよるが…)の厚みでそうなることもある。窯焚きの祭の灰を被ってなることもある。もちろん焼成温度によっても発色はちがう。
いずれにせよ珪酸が作用している。乳白→藍→青→緑という色相の連なりは、見飽きることが無い。残念なことに、この器は搬送中に縁が破損してしまった。もちろん金継をする。