「おしらせ」カテゴリーアーカイブ

POND GALLERYさんにて10/30~11/4個展

POND  GALLERY(銀座)さんでは初めての個展です。
1月頃だったか・・・向付だけの個展をやってみないか・・・
ということでした。その後4月に渋谷の黒田陶苑さんでの個展でお目にかかって、5月に家に来られた。黒田さんの個展の直後に、「美の壺」の出演依頼があって「短詩的工芸」とか「向付のバリエーション」について話してくれないか・・・ということだった。
端的に言えば「原理があって、多くのバリエーションを生む」ということだ。「定型」「形」を持つことが、豊かな表現を生み続けることが出来る・・・ということを云いたかっただけだ。
型がなければ駄目だということではない。生まれ持った才能が、易々と表現の領域を超えてゆくことを誰もが目撃している。
僕が、織部から感じ知り得たのは、おそらく文字以前に依拠する変わらぬ表象文化の色濃さだったのだと思う。

織部の向付というのは、道具としての器の領域を超えて、漆器や染織などと同じように焼き物が短詩系文学を纏い始めたのがここからだったというエポック。

POND GALLERYさんでの型打ちに特化した展示は、嬉しい・・・どこまで伝わるか待ちたい

登り窯とガス窯の違いも伝われば・・・と思う。
最終日のみ一般の方が見られます。あとは飲食業の方々のみ入店可です。

8/5「美の壺」にちょっとだけ顔を出します

 

 

 

 

美の壺
File 563 桃山の革命 織部焼

【放送日】
◆NHK BSプレミアム・BS4K

本放送 :2022年8月5日(金)午後7:30〜7:59[BSプレミアム・BS4K]

再放送 :2022年8月13日(土)午前6:45〜7:14[BSプレミアム・BS4K]
再々放送:2022年8月18日(木)午後11:00〜11:29[BS4K]
再々放送:2022年8月19日(金)午後0:30〜0:59[BSプレミアム]

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日本国内で土型を使った器作りがいつから始まったのか、まだ調べてはいない。織部焼の向付の特徴ともいえるその技法を使った平向付にはおそらく300種ほど(僕が採集した形は230種類弱でいまだに新しい形に出会うことがある)の意匠が展開されているのではないかと考えている。
今回は、平向付について取材された。560個の大小の土型の内250点余が平向付で、他に小向付、水指、型打ちの皿 、筒向付、花入れなどがある。型を使うことが今では量産のための手法と思われるがそれは、形のバリエーションを生むための手段であることを理解して欲しい。
また、「形」は言葉を介さない意味伝達の手段であり、伝統的イメージの宝庫でもあることに重要な意味がある。

焼物を始めた頃に、不思議に思ったのが織部の向付の種類の豊富さだった。その答えを導くカギとなったのが粟津潔さん(造形思考ノート)が家紋について書き下ろした文章の中の「原理があって、多くのバリエーションを生む」という文章だった。翻って考えてみれば、織部の変化に富んだ意匠を繰り出したのは、他ならぬ京都の意匠家たちであれば合点がゆくというものだ。とはいってもその原理(家紋を描く方法)とやらに則て実際に土型を作り始めたのは、気付いてから10年程経っていたかもしれない。
「原理」思いついたデザインをその原理(製図法)の篩にかけることで、無限の形に統一感を生む。
これは、沓茶碗にも当てはまるのではないかと考えている。
更には和歌の定型詩としての在り方にも通底していると思う。

利休が長次郎を指導しながら作った茶碗は、茶室を構築する神経と同じような計算(人間工学的な)しつくした美しさを求めたのではないかと考える。ことに沓茶碗は、この内的必然性を抜きに成立しない、踊りの振り付けのようなものを僕は感じている。
次に大切なのは、「型」と「即興」の妙とでも云えるところだ・・・。この二つが未分の所にポジションを置くことが出来ればいいなとおもっている。 

・・・などと理屈を捏ねても 器の良さを決めるのはそんなところには無いのかもしれない。計算し尽くした気まぐれな何かと・・・思って間違いない。

4/8~4/12 しぶや黒田陶苑個展 終了いたしました

一年が経つのが早い気もするが ゆっくり時が過ぎている あるいは止まっているような気がしないでもない

今回の個展では茶碗と陶仏がメインとなります
茶碗もベーシックな靴型の茶碗を集中して作ってみました

世界的な伝染病と世界的な戦争(そう言ってよいかどうかわからないが) ともあれ8日9日10日と上京して店に居ります



 

 

 

 

志野茶碗 昨年後半は集中的に沓茶碗を作っていた
黒織部と志野と黄瀬戸とに振り分けて焼いた

 






 

 

 

 

後記)
何と言ったらいいのだろう…このご時世で人の心ここにあらずなのかな~ こんな思いが湧いたのは初めてのこと    
・・・手ごたえが薄い

自分のモチベーションも何か具体的なものをつかみ損ねているような心もとないものがあるのかもしれない 実際この投稿もなんだか中途半端なままで済ましてしまっている(笑)

 

6/29~7/10越後高田のぎゃらりー祥さんで織部展終了

【口上】
かつての織部焼には時々動物の姿が現れます 栗鼠 梟 百足 兎 猫 蟹 獅子 犬 水鳥 魚 蛙 猿 鮭牛 鶏 海老・・・狛犬
侘び寂びの焼物に「かわいい」が加味されたのかもしれないですね 異素材の工芸や異国の文化をまるで和歌のように引用したり 歪んでいても下手だって、傷だっていいじゃないか・・・という発想もどこか村田珠光の「和漢の境を紛らかす」という姿勢に繋がってみえる・・・

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戸隠の家から一時間半ほどでギャラリーに行ける
その途中には妙高赤倉の温泉地があり、疲れを取りにあるいは気分転換によく出かける お酒も美味しいところだ 魚も美味しい
高田には「世界館」という日本最古に近い映画館があってあまりメジャーじゃないが良い映画をいつも上映している 映画が特別好きというわけではないが今日も(6/16)【天井桟敷のひとびと】を観てきた 高田から少し行くと直江津で日本海に出る 海なし県の長野県人にはホームビーチのようなところで、泳ぎはしないまでも浜の散歩や海を眺めに来た 戸隠の奥社入口の大きな石灯篭は高田の戸隠講からの寄進…歴史的にも非常に結びつきの深い同地なのである