「思記」カテゴリーアーカイブ

露天風呂といえば・・・

漸く個展も終り 一息付くことが出来た ここ半年は気の休まることもなく製作とその他のことに 忙殺されていたから・・・ 兄や母の死というものを考えるともなく考える 死はその個人的な極めて個人的な 体験であり 親子兄妹といえども共有は出来ないものだと考えている せめてものことではあるが その刹那の想いを介助するぐらいのことは出来るのではないかと・・・ そこに看取りの意味がある まだ残雪の残る乳白色の湯治場の外れにある露天に 日がな浸かって死者の想いと共にある暮らしについて つらつら・・・答えはないが確信のあるようなものがいい 
夜の間 静かに雪が降っているときには 翌日いそいそと面白い物見たさに  雪の原に出かけてみたりする 枯れ草や枝や 枯れた何かの実の上に 雪がふわりと被っている ただそれだけのことではあるが 不思議に幼心に触れてくるものがある 白さと軽さと儚さと その一瞬の形が人の言葉以前の想いを 宿しているのかと ・・・嬉しくなるのである 日頃の運動不足を解消すべく スノーシューを履いての2時間程度の散歩は 楽しいものである ウサギやキツネ 時にはイノシシあるいは鹿 リスや鳥ということもある 雪の上に残された足跡には 心躍る ・・・なぜなんだろう?  捕まえて食べようなんて思ってもいないのに
ウバユリ

赤い表紙

本棚から 赤い表紙の本を拾い出してみた  ambarvalia(西脇順三郎) 慈悲心鳥がばさばさと骨の翼を拡げてくる(土方巽) 動詞Ⅱ(高橋睦郎) 造形思考(パウル・クレー) アントナン・アルトー全集 現代詩手帖1971・8(霊・霊媒) 新漢和辞典(昭和44年刊)  酵母する方向感覚(中村文昭詩集) 心より心に伝ふる花(観世寿夫) 眼球國譚(上原木呂) チベットの死者の書(おおえまさのり) 今昔物語(日本古典文学大系) 生誕の災厄(シオラン) ・・・・・・   少ない)^o^(
赤い本
  どうもwordpressの編集機能が狂っているみたい・・・

写真家・濱谷浩

ことさら写真に詳しいわけではないから
彼の名を知らないでいたとて 不思議ではなかった

それにしても 改めて写真集をひも解くと 

見知っている写真の多さに驚いた

写真を撮るとは どんなことなのか・・・と改めて考えさせられる

カメラという器械を通して 目に映るもの・ことを写し取るのであるが
映し手によってその写される物の深度は 悉く違うのである

撮られていたのは 結局は自らの姿であったかのようである

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく