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森温理について 

「森温理について」 2013以降加筆しました

絵のなかに生きた 森温理展 終了いたしました<m(__)m>
北野カルチュラルホール
10月15日~11月13日

後半に向けて盛り上がりをみせて・・・大盛況(1200人)の入場者があった。40点ほどの絵も愛好者に引き取られていった。
28年のあいだ、よくここまでさして傷みもせずに持ちこたえたものである。肩の荷が下りるということを実感している。

幾らか準備不足で始まった温理展だったが、始まると同時にメディアが取り上げてくれ幸先のよいスタートだった。会場の近くに住む鎌倉さんが連日会場に居てくれたことも幸いして後半にも新聞・ラジオ・テレビと立て続けに報道されたせいで、客足が途絶えなかった。

こんなこともあるのだな・・・出来すぎた夢のような展覧会になった。
観に来て下さった皆様 ありがとうございました。
全く無名の画家であるにも関わらず 色がいい 優しさがある 書かれた言葉がいい・・・と反応は上等だった。

今後のことは、これからゆっくり取り組んで行こう・・・♪

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セッコクの花

セッコクの花
セッコクの花

002昨年 熊野の修験者を訪ねた折に、別れ際に近くの樹に張り付いていたセッコクを採って、持っていって育ててみればいい・・・と手渡してくれた。熊野と戸隠では気候が違いすぎるから、上手く育てられるか自信はなかったがこの頃になり花を咲かせた。長生蘭とも呼ばれ薬効もあるようだ。蘭科だからか幾日も花を付けている・・・原始的?な花のせいか他からは感じられない、野生のものだけが持つ生命力の力強さがある。新しい芽も幾か所からも出始めたから、もう大丈夫だろう。

さくら市ミュージアム 荒井寛方記念館

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一昨年森温理展を開催して頂いた、さくら市ミュージアム荒井寛方記念館を再訪した。 
この10月に長野の北野カルチュラルホールで 「絵のなかに生きた・森温理」展を開催するにあたり 大田原市に温理の絵を預かって戴いていた御実家に絵を引き取りに訪ねた帰りだった。 
リニューアルされた館内では 地元出身の日本画家荒井寛方の展覧会が、全館を使われて開催されていた。正直なところあまり日本画のことは詳しく知らないのだが、確かな技に裏打ちされたものが作者の求める絵画世界を描ききっている。やはり「・・・凄い‼」 。選ばれた人だけが成しうる仕事ということか。 それらの絵はさくら市の宝として収集され研究されて大切に残されて行くのだろう。
荒井寛方の絵に惹かれるものを一つ上げろと言われるなら 少し不協和音のようなものが表情に加味されているところだ。美は必ずしも調和によって表現されるだけのものではないことを教えてくれる。その少し歪みを湛えた表情を生み出したものに、寛方の魅力を感じるのである。
展示空間が温理展でも感じたのだが心配りのようなものだろうか、とても心地よく見れてよかった。

                      ※

これからまた少し 森温理の絵のことも考えていかねばならない。ミュージアムの学芸員によって整然と整理された温理の絵をどう残してゆくか・・・

最近少し分かってきた ことがある。 ・・・あるいは 変わらない事

浅草六っ区の永井荷風
浅草六っ区の永井荷風

3月の終わり 知人のお店を訪ねて 浅草を歩いた    ぱーと2

もう知遇を得てから四半世紀経っているのにその彼女の存在の有り様は 口のなかで飴玉を転がすように現実的で甘美なものとして記憶されている 全く忘れているわけでもないが さりとて何か繋がりがあるわけでもなく7.8年に一度ぐらいに再会する 川を眺めていたら スイーっと魚が視界に入ってくるみたいに・・・ いまは夫君と浅草でアンティックの店を開いているというから訊けば かつて良く行った西洋料理店の裏手にあった 随分と古い家(かつては料理屋だった)を改装して・・・というよりも余分なものを剥いで使っている その店で扱う品々から受ける大正は不思議な雰囲気をもった時代である ファッションや文学 工芸や建築などにおいてもある種の品を保ったうえで成り立つ カオスを孕んでいるかにみえる ・・・・そうだ宮沢賢治の幻燈の世界のようでもあるのだ  
 最近少し分かり掛けてきたことがあるのだけれど まだ言葉にならない  変わらずにあることを自分のフィルターで発見することなのだが・・・