「これがいい・・・」とは絶対にいわない
未だに手探りの仕事なので、「これでいい・・・」という確信もない。
が「これでもいい・・・」という、根拠なき自信はある。
でも、まだまだ・・・ですね。
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「東北」
東北震災のための鎮魂歌。CDでは、おおたか静流が歌い梅津和時がサックスを吹いている.
松本のライブハウスで、仙台出身の梅津の声で初めて聞いた。
とても心に沁みる良い歌だった。
東北/TOHOKU
風の歌ささやいて 名もない野花と遊ぶ
空を分け 真っすぐに 山々は美しく
木漏れ日を浴びながら 日長 野を駆けめぐる
雨あがり飛び込んだ 母の胸は優しく
思い出すふるさと
懐かしい あの笑い声
待ちわびた春に
聞こえてくる 君の歌が
夕暮れの帰り道 並んで投げた石ころ
会いたくて 会いたくて 名前を呼び続ける
・・・
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=lpDfjsQo4PU
♪月がとっても青いから~
仕事は見えるようにしろ‼
この言葉がどんな経緯で発せられ,怒鳴られたのかは忘れてしまったが、
何かと思いだす言葉だ.
ところは、いまでは解体されてしまった歌舞伎座の大道具の現場だ。
余程、身に応えたのか、いまだにどんな仕事をしているときも、
「見えるように・・・」が
優先順位の一位である。
といっても、「見えるように・・・」というのが何を指しているのか
いまだに謎なのである。
「チンタラヤッテンジャァネエヤ・・・」が前にくるのか?
この「見えるように」に含まれる意味は深い。江戸大衆文化の象徴でもある歌舞伎の「いき」が
コーティングされていると僕はみた。
写真はそのころ使っていたゲンノウ(カナヅチ)である。
これを腰袋にいれてあるいはベルトに挿して、舞台転換のときに飛び回るのである。
「所作台」
出し物にもよって、所作台という敷台を舞台全面に敷くことがある。
いわば床を踏み付ける音を、より大きな音にするための装置みたいなものだ。
60cm×210cmぐらいだったが板が厚いのでかなりの重さだったが、これを肩にかけていとも簡単に運ぶ裏方は
イキだった。 それと対照的だったのが黒子さんで内股歩きで
舞台裏の薄暗がりで「ねえねえ・・・」なんて
声を懸けられたこともあった☆ヨナ。
少し歌舞伎の裏方の事でも書いてみようかな
12/6 追記
中村勘三郎さんが亡くなりましたね。歌舞伎が大衆のものであったことを
常に意識し、謙虚で、新しい事に挑戦した
人だったらしい。
先代の勘三郎さんが坊主役で、幕が開くと上手に立っている
という「出」があった時に、下手に
腰袋を下げた坊主頭のぼくが立っていたことがあった。
一瞬眼があって、
もちろん僕は、すぐに引っ込みはしたのだけれど
・・・大目玉を食らうかと思いきや
「おいおい、下手にも坊主がいちゃあ、不味いだろう・・・」と笑っていたよ
とあとで教えられた。
カブキは、フトコロが・・・でかい。
★
もうひとつ、歌舞伎の生命力を感じたのが次のような事だ。
丁度そのころ、映画で巨大なサメのでてくる超娯楽大作「ジョーズ」が封切られて
チマタの人気をひとりじめにした・・・その直後ぐらいだった
だろうか。
歌舞伎座でも・・・やってくれました・・・
大舞台全面に、青い布を敷き・・・上手下手の裏方が両脇で布を煽り・・・荒海を演出し
小舟に乗った漁師の前に
奈落から・・・巨大なサメの頭部がせり上がって出現したのである。
「受けねらい」の典型ではあるが、・・・文句なしに面白かった。
当然、看板役者はだれひとり出ていなかったと記憶する。
カブキは、喜ばせ上手であった。 😆
つづく